Hiroyuki Chiba

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国立新美術館『MANGA都市TOKYO』展

国立新美術館で『MANGA都市TOKYO』展を鑑賞しました。中に入ると巨大なジオラマを取り囲むかたちで漫画、アニメ、ゲーム、特撮などの資料が展示されていました(ほとんどは撮影不可)。 東京は戦争と災害による破壊と再生を繰り返してきました。日本のMANGAはそのイメージの反復とも言えます。 戦後復興と高度経済成長を果たしても、バブルが崩壊し、震災に襲われ、コロナ禍の世界を生きる今の私たちの目は、日常のささやかな幸せに向けられているとしていくつかの作品が挙げられていました。

    • 存在感

       身体はその全てが他者を感知するセンサーである。肉体的に触れ合う以前にも五感を通して他者の存在を感知すること、存在感に触れることがすでに私たちの身体的レベルでの交流となっている。存在感とは五感の総合であり、身体的なものであり、これを通して、ここにおいて心が交流する。相手の存在感によって身体が暖かくなったり寒くなったりするのはそのためである。五感の総合に心が乗っかったものが存在感であり、それは肉体的触れ合いを抜きにしても他者と交流する身体である。  ここで宮澤賢治の次の詩(『春

      • 人間関係の並列/直列接続

         自己と他者というのは各々領土を持っていて、取り引きはするけれども通常はお互いに交わり合うことなく境界線を引いて待っている諸国のようなものである。他人同士の彼らはいわば並列接続している。そこを強引に直列接続しようとすることは「侵犯」である。人間関係において配慮がないこと、そこからさらにエスカレートして法に悖る行為がそれに当たる。  しかしながら、家族や恋人との関係においては、関係を結ぶために肉体的接触を避けられないところから、直列接続をある程度許容しなければならない。と言って

        • 「通信的関係」と「現実的関係」

           通信と呼ばれるもの(手紙・電話・スマホ等)の発明がコミュニケーションの空間を多層化した。  私とあなたが通信を通して築いた関係(通信的関係)は、それがどんなに親密なものだったとしても、現実にふたりが出会う際にはいったんリセットされる。  通信的関係と現実的関係は別物である。私たちは両者のレイヤーの違いを自然と識別する。  だが現実的関係において通信的関係は失われるのではなく、ふたりの間に横たわり、暗黙の了解となる。  通信的関係と現実的関係はレイヤーを異にする。そのレイヤー

        国立新美術館『MANGA都市TOKYO』展

          「集合的イメージ」の謎について

          「ベタな漫画・アニメの設定の法則」というサイトがある。 「漫画・アニメあるある」を集めたものとして単純に面白いサイトだが、興味深いのは、これがメディアを介して伝播した集合的イメージ(都市伝説もそう)を集めたサイトになっているということである。  これと関連して、平野芳信『村上春樹と《最初の夫の死ぬ物語》』で『めぞん一刻』『タッチ』『ノルウェイの森』が物語の原型を共有していることが指摘されていたり、志水義夫『魔法少女まどか☆マギカ講義録』で「まどマギ」のキャラクター・暁美ほむら

          「集合的イメージ」の謎について