島日記 月を見ると
中秋の名月には早いけれど、ともう何回も書いた気がする。
どうも私は先取りが好きなようだ。
旅行も地図を見たり、下調べで半分満足してしまう。
「ゆくえなく月にこころのすみすみて 果てはいかにかならむとすらむ」
どこへ行くともしれず、ただぼーっとして月を眺めていると、こころは澄みに澄んで、やがて身を離れてついにはどうなるのだろうか。
すみすみて、いいなあ。
一瞬は、きれいだなと無心に眺めるが、そのあとは、写真に撮りたいけど撮れないなとか、邪念がでてくる。
こころが身を離れてどこかへ行ってしまうことはない。
西行は、こころが月のように澄み切って曇がなくなっていったようだ。
悟りの境地にいたるのはそういう感覚だろうか。
恍惚と不安を感じさせられる月を詠んでいる。
「月見れば千々にものこそ悲しけれ 我が身ひとつの秋にはあらねど」
百人一首で有名な大江千里は、孤独感いっぱい。
月を見て寂しさを感じるのは自己憐憫だろう。
阿倍仲麻呂のように異国で眺める月はまた違うかもしれない。
古来多くの歌人に詠まれてきた月。
今年も中秋の名月の登場が近くなった。
毎月の満月と変わるところはないのだけれど、なぜか九月の満月は違って見える。
「月々に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月」
今年は暑くてススキの穂がまだ出ていない。
何を飾ろうか。
アダージョ•バッハさんが「朧月夜さんのこと」というタイトルで記事を書いてくださいました。
過大評価は気になりますが、ありがとうございました。
よければご訪問ください。
今日もお付き合いくださってありがとうございます。
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