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小短編

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2000字~4000字の小さめの短編
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【小短編】僕の猫はかわいい

猫の里親の会で、僕は僕の猫に出会った。 「もっといい猫にしたら。」 母さんはそう言った。 でも、僕は、一目見たときから、この猫と離れられなかった。 僕は、猫をそっと抱き締めた。 「本当に変わっているわね。まあ、いいわ。好きにしたら。」 僕は猫と家に帰った。 僕のベッドの枕の横に、猫のベッドを作った。 猫はするりと入り込むと、丸くなった。 僕の猫はあんまりいい猫じゃないのだ。 あまり可愛いと思ったら、ダサいのかもしれない。 ダサいと嫌われるのだから、注意しないといけない。 猫

【小短編】パンゲアの夜に

 パンゲアの夜は、全人類が緊張して、早々に眠りに就く。出来るだけ多くの人間が寝静まっているほうが、早く柔らかに終わるという噂を人々は信じていた。  ある国の小さな家で、親子が食器を箱に詰めて、鉢植えを家の中に引き入れ、雨戸を閉めた。リュックを背負うと、もう一度、家の中を見回ってから、玄関の鍵を掛けた。  町中の住民が、広場に集まって来ていて、炊き出しで、温かい味噌汁が振る舞われていた。少しでも人々の緊張をほぐそうという趣向が、ひしひしと伝わって来る。  午後七時、日没と同時

【小短編】桜の木の蕾の下のYさんの喜ばしい異動

 桜の蕾が膨らむ三月、オフィスの会議室エリアでは、会社員への異動辞令の通達面談が、分刻みのスケジュールで行われていた。 「これが辞令です。」  花形部の部長が、笑顔で一枚の紙きれを手渡した。  社員Yは受け取って目を走らせる。 「地味部ですか。」  Yは抑揚のない声で言った。 「うん、地味部は、歴史のある部署だから。そういう部署に行くと、経験が増やせて、ラッキーだと思うよ。」 「そうなんですか。今まで、やってきたこととは全然違う業務なので、ちょっと驚いているのですが。」  

【小短編】今からアマゾン行ってきます

 朝起きて会社に行き仕事をして帰って眠り、他人に見劣りしないように、暮らす。冬には春を待ち侘び、就活地獄では内定、新入社員では定年に憧れる。  いつもご褒美のニンジンは未来に先送りされていて、ようやく達成して食べても、またすぐに次が吊るされる。  旅行やら趣味やら結婚やら、年相応のライフイベントをこなして、カレンダーにバツをつけていくうちに、年齢が増えていく。  この早送りの空想ムービー以上のホラーを、俺は今のところ観たことがない。けれども、これが常識で、妥当で、俺の人生の

【小短編】転んだ女と中年女とビーグル犬

 よく晴れた日曜日、新緑輝く公園の歩道で、白いワンピースの若い女が、転んで擦りむいたストッキングの脚を抱えてうずくまっていた。  道行く誰もの目線が、一瞬、彼女の上を素通りして、さりげないカーブを描いて、スマートホンや景色にUターンしていく。  年老いてよたよた歩くビーグル犬を散歩させている中年女だけが、唯一、じっと彼女を見つめていた。  中年女は犬に引かれるままに歩き去ろうとしたが、意を決したように女に近づき、その場にしゃがみ込んだ。連れられていた老ビーグルも、どてっと尻を

【小短編】近未来の恋愛事情

「週末は家に帰って来るように」  〈育親〉からのメッセージが〈スマート眼鏡〉の隅で点滅している。親子関係はすこぶる良好だが、それでも有り難くも煩わしいのが親子の情というものだ。 「面倒くさい」  思わず呟くと、仮想オフィスで音声共有中だった同僚が応答した。 「メンドウ?23世紀にもなって、そんな化石のような感情を味わっているなんて、ずいぶんと器用だね」  軽快なお道化た口調に、思わず笑みがこぼれた。 「不機嫌な呟きをしちゃって、ごめん。良かったら、こっちでお茶でもしながら休憩

【小短編】読むだけで自分を好きになれる本

友人との待ち合わせまでに空いた時間があったので、本屋で棚を眺めていると、ショッキングピンクに明朝体で、読むだけで自分を好きになれる本、と書かれている本があった。 傍に居合わせたデート中のカップルも、その明るい色に眼を留めたようで、マフラーを巻いている方が、苦々しく感想を漏らした。 「こういうもの、わたし、苦手。 人間のこころにまで、裏技みたいな安直なテクニックばかり追い求めるなんて、なんか、怖い。」 「そうだよね。そんな簡単に変われたら、苦労なんてしないよね。」 カッ

【小短編】汚れちまったぴえんみに

 ある高校の昼休みに、関係省庁の重役である視察官が、校内を巡回していた。この高校は中退率が高いと、県の教育課の担当者が報告していた。  視察官は、大広間の片隅で本を読んでいる生徒に眼を留めた。 「へえ。本読んでるんだ。何読んでるの。」  視察官は、生徒をじろじろと遠慮なく見た。  生徒はむっとした顔をして、黙って席を立った。  視察官の後ろに控えていた教師が謝罪をする。 「態度が悪くてすみませんね。」 「いや、構いませんよ。」  視察官は大人物らしい鷹揚な態度を見せた。

【小短編】ずぶ濡れの子猫を拾う

 灰色スーツを着た勤め人は、大荷物を会社から持って帰る夜に、土砂降りの雨の中で、子猫を拾った。  アパート近くのバス停に降り立って、荷物をベンチに置き、折り畳み傘を取り出そうとしたとき、ベンチの下から、か細い鳴き声がした。  灰色スーツは、凍り付いた。  バス停の簡易屋根を、雨がひと際大きな音を立てて、叩いている。  空耳かと思い、踵を返しかけると、その背を追うように、か細い鳴き声が、もう一度響いた。  屈みこむと、ベンチの下に、通販の箱があった。恐る恐る引き出すと、ずぶ濡

【小短編】お気に入りの生活はみんな丁寧

 美術館のように、白い陶器や木工芸品や藤籠が、余白を保って並べられている雑貨屋の前を、緑色のジャージを着た若者が通りかかった。  ショウウィンドウには、緑ジャージが長年探し求めていた形がそのまま具現化したような鉄急須が飾られている。  うっとりと急須を眺めていた緑ジャージは、ショウウィンドウに映る自分の姿を見て、眉を顰めた。こんな小奇麗な店で買い物をする心積もりは毛頭なく、着古したお気に入りのジャージで外出していた。この店には不釣り合いのような感じがする、だがしかし、別に汚れ

【小短編】みにくいヤドカリの子

あるところに、立派な貝殻に住んでいるヤドカリが居ました。 美しい螺旋模様があり、誰よりも大きな貝殻であることが、ヤドカリの自慢でした。 そこに、カタツムリがやってきました。 カタツムリの殻は、ヤドカリよりも小さく、模様も地味でした。 ヤドカリは、小さな殻のカタツムリを、気の毒に思いました。 「やあ、カタツムリさん。」 「やあ、ヤドカリさん。」 「雨の多い季節になって、ようやく過ごしやすくなってきましたね。」 「本当に、大地が潤っていると、気持ちが伸び伸びしますね。」 カタ

【小短編】コーヒーの原液みたいなエゴを薄める

電車に揺られて、隣り合わせに座った高校生が二人で話している。 「世界中が敵になっていると、思う日、ない?」 鞄を抱えたほうが、スマホを見ているほうに尋ねる。 「残念ながら、あるねえ」 スマホから目を上げずに頷く。 「王様でも革命家でもロックミュージシャンでもないから、そんなことないって、わかっているんだけど」 鞄のほうも、正面の車窓を眺めたまま、話し続ける。 「王様だって、何様だって、思う日は思うんじゃない」 スマホのほうが、慰めの言葉を掛ける。 「そうかな。だとしたら、少

【小短編】簡単でつまらないスケッチ

私は実家の近くのチェーン店のテラス席で、完全に腐りきった気持ちで煙草を喫っていた。有名美大を出て、デザイナーとして有名広告代理店に勤め、新進気鋭として独立して、失敗して、借金を抱えて破産し、実家に戻って来た矢先だった。 目の前は、暗澹としていた。真の暗闇だった。 「先生。美術のK先生ですよね」 突然、目を射るような光が差した。驚いて煙草をデッキに落とす。私は胡乱だった眼の焦点を合わせた。 テラスの垣根のすぐ目と鼻の先の歩道を歩いていた、ベビーカーを押した青年が私に呼びかけてい

【小短編】記憶の鎮痛剤あります

 頭痛がする帰り道、各駅停車がようやく着いた駅で、開いたドアの前を見て、頭痛がますます酷くなった。  ドアの前には、朝は無かった観光ポスターがあった。  その街は、昔、住んでいた街だった。  それを目にした瞬間に、否が応にも、当時のことが思い出されて、頭痛に加えて、記憶までもが痛み始める。  その昔、日本に渡来した欧米人は、肩凝りという日本語を知ったことで、生まれて初めて肩凝りを認識したという。  言葉が認識を作る。  肉体の痛覚さえも。  記憶の鎮痛剤が発売されてから