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ピンクリボンライダー参上。

「左乳房 非浸潤性乳管がん、ステージ0です」

36歳7か月。私は乳がんになった。
まさか自分が、がん宣告を受ける日が来るなんて…。


がんが発覚してから、摘出手術を終えた現在に至るまでの約2ヶ月間のあれこれを、備忘録的に、そしていつかの誰かの役にたつかもしれないという期待を込めて書き記しておこうと思う。

今年5月上旬、がん宣告を受ける約3週間前のこと。
入浴中、いつものように体のマッサージをしていた。何気なく掴んだ左胸。そして右胸。ん・・?右と違うな。左利きだし、筋肉の発達度合いの違いかな。

数日後、某全国紙の特集記事に、同世代女性の乳がんに関する話題が。読み進めながら、ふと、数日前の入浴中の胸の感触を思い出す。

ザワザワと嫌な予感がした。

すぐに乳がん検診の予約をし、翌々日に受診する。

「紹介状を書きますので精密検査を受けてください。」

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予感はあっという間に現実に。

これまでの人生、ケガ以外、病気など全くと言っていいほど経験がなく、薬も病院もできるだけ避けて過ごしたいと思ってきた。それが、あれよあれよという間に、CT、MRIなど他人事としてしか聞いたことのなかった機械に次々に通されていく。

「畠山さんのガンの種類は、“理論的”には転移はしないと言われています。ただ、範囲が広いので、全摘出の必要はあります。」
「まだお若いですし、乳房再建という選択肢もありますよ」

「術後も自転車は乗れますか?」

私にとって一番の心配事はこれだった。
(自転車に乗れなくなるくらいなら・・・・)一瞬よぎる

「恐らく問題ないですよ。基本的に日常生活や運動に制限はありません」

心底ほっとした。

私にとって自転車は人生である。
(自転車に乗れなくなるくらいなら・・・・。)

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確定診断が出たのは2020年5月28日。もう直ぐ6月だ。

私は1年の中で…というより、「好きなものは何ですか?」と聞かれたら「6月です」と答えたくなるほど、6月が大好きだ。恐らく、自転車と同じくらい好きだ。

「先生、1か月のうちに進行することはありますか?」

「1か月でどうこう、というのは考えにくいですね。」

「では、7月に手術でお願いします。」

がんは今や日本人の2人に1人がかかる病気と言われており(乳がんは11人に1人の割合)、私のがんの進行度合は「ステージ0」。ステージ1で5年後の生存率は95%なので、ほぼ完治可能な状態だろう。実際に私の周りにもガンキャリアが結構いたが、多くの方々は今も元気に生活している。

それでも「アナタは、がんです」と言われるのは結構な衝撃で、人生で初めて、自分の死というものをリアルに意識した。「私もいつかはやっぱり死ぬんだな。」と。

そう考えると、1日1日を少しでも悔いの少ない過ごし方をしたい。数日後にやってくる大好きな6月を、目一杯生きたい。

がん宣告された当日、帰宅後すぐにいつものトレーニングライドに出掛けた。変に気分が高揚し、区間自己新記録を出して帰宅。火事場の馬鹿力か。

その後、部屋に籠り、(*1) gravel子のロゴを作り、ステッカーを発注。何かあった時に連絡を入れて欲しい人の名簿を作り、自分のお別れ会について想像し、会場やケータリングをお願いしたいお店をメモ。お別れ会用BGMを12曲ほど選んだプレイリストを作り、それらをデスクトップに用意した「もしもの時」フォルダに格納した。
 

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6月が始まる。
この1か月間、仕事もプライベートもできる限りの事を詰め込んだ。

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とにかく自転車に乗る。
関係者にお願いし、仕事をバタバタと前倒しにしてもらう。
会いたい人には会いに行く。
会えない人には連絡する。
少しでも周りに心配をかけない様に、気を使わせない様に、とにかく元気に過ごす。

基本的に楽観主義の私でも、意識して日中、「できる限り元気に過ごす」ということは予想以上に消耗した。夜はその疲れのせいか、逆に脳が興奮状態に陥り、ずっと眠りが浅かった。6月の下旬にはヘトヘトになった。
そして、涙脆くなった。

丁度1年ほど前に受診して異常が見つからなかった乳がん検診後からの体調について振り返る。

秋頃までは異常なく、自転車も絶好調に乗れていた。

シーズンが終わる11月頃から風邪をひきやすかったり、年末から年明けにかけては、週に1度程度、高熱が出る期間があり、インフルエンザでも新型コロナウィルスでもなさそうだった。3月に入り、自転車シーズンイン。例年のシーズンインの時ほど調子が上がらず、少し長い距離を走ると、翌日起きられない程に疲れが残った。そろそろ40代も間近という年齢による体力の変化かな・・程度にしか思っていなかったが、振り返ると、やはり身体はきちんとSOSを出してくれていたのかもしれない。(乳がんは乳房のしこり以外の自覚症状が出にくいとされ、私が感じていた不調と直接的に関係しているものだったのかどうかは断定はできない。)



入院までの時間、理解ある職場(本当に恵まれた環境に感謝)の上司や同僚らにうんと励まされ、友人らはギリギリまで時間を共有してくれた。

一番心配し、心を痛めているであろう両親は、とにかく体力をと、毎日美味しい食事を用意してくれ、冷凍庫には私が好きなチョコミントのアイスクリームが沢山詰められた。(そのおかげか、3kg増量でピットインすることに。)

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ある種の現実逃避で走りきった、怒涛の、そして世界が本当に美しく澄んで映った6月が終わり、手術の前日に入院した。

いよいよ現実味が増し、「恐怖と不安」がじわじわと顔を出す。手術前日の夜には、沢山の友人の励ましのメッセージに枕を濡らした。

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手術当日。
昼過ぎに「畠山さん、手術の準備ができましたよ」
朝から絶食を命ぜられ空腹と不安で頭をぼんやりさせていると、ナースが声をかけにきた。

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手術室までは徒歩で移動。「手術部」と書かれた自動ドアを抜けると、大型ショッピングモールのバックヤードさながら、両サイドに想像以上の数の手術室がズラッと並んだ長い廊下を一番奥まで進んだところで、「こちらですよ」と中へ通される。

すでに緊張しきっていたので、数を数える余裕など全くなかったが、随分と沢山の人がそこにいた。

各種同意書の確認など求められ、ぼんやりと返事を返す。そのあと、手術台へ促され、病衣を脱ぎ仰向けになったところで、身体中にいろいろな器具がつけられる。これまでに感じたことの無い不安と恐怖の中、じっとしていると、私の腕や脚の日焼けを見た麻酔科医が、

「畠山さん、この日焼け、何かやっているんですか?」

「自転車焼けです。ロードバイク。」

「ロードバイク!僕も少しやるんですよ〜。レースとか出るんですか?」

「はい、去年から競技も少し・・・」

「何乗ってるんですか?」

「ピナレロです」(手術台の上で「ピナレロです」なんていう日が来るなんて想像もしていなかった・・・)

「僕はトレックに乗ってます」「ブルベとかやらないんですか?」

「ブルベはやったこと無いですね・・・」

「畠山さ〜ん、酸素マスク付けますね〜」
「ゆっくり呼吸してくださいね〜」
「ハタケヤマさ〜ん!眠るお薬入りますよ〜!」
「・・・・」
・・・・・・・・・

「畠山さ〜ん!手術終わりましたよー!今、17:30ですよ〜!」
「ベッド、移りますよ〜!」

手術室に入ったのが12:30過ぎ。まるでタイムスリップ。今まで生きてきた中で一番よく眠ったなぁとぼんやり思い、再び深い眠りに落ちた。

幸いなことに、リンパ節などへの転移もなく、今後の化学治療の必要は今の所は低いようだ。摘出手術と同時に、インプラントでの乳房再建手術も行った。今、私の左大胸筋の下には「ティッシュ・エキスパンダー」と呼ばれる、生理食塩水が入ったバッグが入っている。まずは、これに少しずつ生理食塩水を追加していき、皮膚を拡張させた後にシリコン製の人工乳房に差し替えるというもの。この処置が完了するまでには、後半年ほどの時間を要するそうだ。

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術後は外科的な回復を待つのみ。と、気楽に数日を過ごしていると、同室にウィッグを被った女性や高齢女性が入れ替わり立ち替り入院してきた。

彼女らは、長年のがん患者のようで、抗がん剤治療ために、定期的に数日間入院しているようだった。
一見すると、元気に見える人もいたが、やはり治療は過酷なようであった。
私は、ここで初めて「がんと闘う」ということの現実に触れたような感じがし、それとともに目を背けたくなってしまった。
懸命に闘う彼女らに敬意を払いながらも。

ステージ0で摘出完了とはいえ、発症したということは必ず何かしらの要因がある。そして、今後の再発も考えらえる。化学療法の必要性が出てこないとは言い切れない。

様々な疾病の中でも乳がんに関する研究はかなり進んでおり、治療法も確立しているという。
数年前に、アンジェリーナ・ジョリーが遺伝子検査の結果、「BRCA1」という遺伝子の変異が見られ、遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)発症の確率が高いとの結果に至った。そのための予防策として両乳房切除をしたというニュースが流れたのは記憶に新しいが、今なら、十分に理解できる。

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これからも、少しでも長い時間、サドルの上で過ごすことができる選択をしたい。
仕事も、出来ることの幅が少しずつ増え、チャレンジしたいことも沢山ある。
いつかは自分の家族を持つこともあるかもしれない。親になりたいと思う日が来るかもしれない。

・ 40歳以下で乳がんを発症
・ (*2)第3度近親者内に乳がんまたは卵巣がん、前立腺がん等の発症者が1名以上いる

これは、遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)の特徴項目の一部で、私はそれに該当する。つまり、これに関わる遺伝子の型を調べ、変異が特定できれば、今後の治療や予防策の効率的な選択が可能になり、そして血縁へもこの経験から得たものを還元することができるのだ。

遺伝子は変えることはできないが、「知る」ことで未来を変えられる可能性は十分にある。

乳がんは早期発見出来れば、ほぼ完治可能な病だ。
と同時に、年齢・体力などにかかわらず、誰にでも発症する可能性のある病だ。

これまで、健康だけが取り柄。体力だけには自信がある。と自負してきた私だが、思いがけず、乳がん患者となった今は「まさか自分が」と声を大きくする使命を感じている。そして、乳がん経験を持つ自転車乗りとして、何か発信していけることがあるかもしれない。と。

まずは月一の自己触診。
そして定期的な乳がん検診。

他人事と思わず、ぜひアナタも。

あぁ・・・早くサドルの上に戻りたいな。

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                  2020/07/10 入院中のベッドから

(*1)自転車活動の中での私の愛称。形見の品だ!と勢いで作ってしまった、自己愛溢れるステッカー。#グラベル子のマーキング にご協力していただいた皆さま、ありがとうございました!詳細お伝えしていなかった方々、何かすみません(汗)
(*2)いとこまでの血縁関係者




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