フリースタイルピアニストけいちゃん作詞作曲シンフォニア(映画「美男ペコパンと悪魔」主題歌)の世界を紐解く…かもしれない個人的考察と感想文Vol.11
【Vol.11 ラスサビ「どうせなら大舞台」】
〈シンフォニアMVはコチラ↓〉
〈映画「美男ペコパンと悪魔」公式HPコチラ〉
〈はじめに〉
この文章は私が映画「美男ペコパンと悪魔」と主題歌シンフォニアのMVを見て感じた事と主観的なイマジネーションで自分の頭の中を整理する為にまとめた個人的な考察と感想文である。
〈3つの世界を描いた主題歌〉
けいちゃんご本人がインタビューで3つの世界を描いていると語っていたこの曲。考察をしていく上で大前提となるその3つの世界を記しておく。
【3つの世界とは】
1.映画の中 現代世界(隼人と亜美)
2.映画の中 さらに物語の中 中世世界(ペコパンとボールドゥール)
3.映画の外 MVに描かれている世界・私達の居る現実の世界(けいちゃん自身も含む)
概ねインタビューでけいちゃんが答えていた事だがそれに加えて私の主観を含み独自の解釈となっている。
〈前回のVol.10はコチラ↓〉
【ラスサビの手前のある仕掛け】
歌の1番では手前で悪魔さんにあたためてもらってから登場したサビのこの歌詞
「もう変えれないくらい
帰路を毒せぬ未来」
私は何と解釈したのだったか?
Vol.7に書いている。
〈Vol.7 最大の難所「帰路を毒せぬ」はコチラ↓〉
"汚した過去は変えられない
元通りには帰れない
でも未来は汚せない
なぜなら未来は白紙でピュア
これから創り出すのだから"
あーそうそう(すでに忘却)
言葉としては1番の歌詞と全く同じだがけいちゃんは2度目に登場するこの歌詞の部分の雰囲気をまた違った印象の音の世界で表現している。
どこか遠くでけいちゃんが歌い、何かの記憶と共にスーッと広い空に歌詞が溶けて消えていくような仕掛け。
だから私も忘却してしまっていたのか!
(それは違う)
1番とは異なりこの部分の歌詞はサビではないと考える。続くラスサビをドンと大きく盛り上げる為に手前で少しトーンを落とし「え?どこに消えて行くの?」と思わせて引き込む。
私の超個人的な考えでしかないのだがこれを恐らくけいちゃんは計算ではなく無意識に本能で出来てしまうのだと思う。
展開の天才の天才たる所以(ゆえん)である。
【ついに来たラスサビ】
そして満を持してのラスサビがコチラ
「どうせなら大舞台
研ぎ澄まそう 自分次第」
MVでもどうだと言わんばかりに悪魔さんが舞台上でキラキラしておられる。
スポットライトも浴びているのだがこの方はご自分の左手にも撮影用の強力なストロボライトを持って自らキラキラしているのだ。
今までの考察の中で述べてもきたが、このMV中の悪魔さんの姿は1人の存在ではなくて映画やそれが映し出されるスクリーンや映画作りに携わった役者さんスタッフさん原作含め"映画そのもの"の象徴であると私は考えている。
だからこそスポットライトを浴びつつも自分でも光を放っている。光を放つ為の道具をちゃんと持ちどの角度から撮られたらカッコいいかを考えてポーズをとっている。舞台にすでに上がっているにも関わらず右手にはしっかりと台本を握りしめている。それぞれの役割でそれぞれの存在がこの悪魔さんのように努力しているのだ。キラキラと輝く為に。
「どうせなら大舞台
研ぎ澄まそう 自分次第」
は
"自分の中の感覚や才能を研ぎ澄まして輝けるか輝かないかは自分次第。どうせなら大舞台に立ってやってみよう"
という意味であると解釈した。
むしろ映画そのものという枠組みさえ大きく飛び越えて誰にでも当てはまるような大きなメッセージだと思う。
そこに"主題歌"という大役を担ったけいちゃん自身の姿も重なる。
またもや親戚のおばちゃん気分で胸熱になりウルウルしてしまっている私が居る事も余談であるが付け加えておく。
【3つの世界のそれぞれの一途】
続く歌詞はこうだ。
「実った一途
汚した開幕戦から続く
夢の中」
この意味を3つの世界別に見ていこう。
①隼人と亜美の世界
映画のYouTube公式チャンネルで冒頭の7分間が公開されておりそこにも描かれているのでここは内容について少し触れようと思う。
隼人が事故に遭って病院に運ばれる直前、亜美は隼人と会っていた。約束を忘れていた隼人に怒り店を出た亜美。隼人が追いかけてくるかと期待して振り返るが隼人は来なかった。
隼人がその後昏睡状態に陥ってなかなか目覚めずにいる間亜美はペコパンの物語を読みながら隼人と一緒に「夢の中」を彷徨っていたとも言える。
ケンカをして「汚し(てしまっ)た開幕戦から続く夢の中」を。
そして最後に「実った一途」
どういう風に実ったかについてはここでは述べないが亜美の一途な気持ちが実った結果かもしれない。
冒頭7分間の映像はコチラ⬇️
②ペコパンとボールドゥールの世界
こちらはまた一途過ぎるほど一途な2人と言える。もう少しで結婚式というタイミングで離れ離れになってしまう、そして思いの外それが長く続いてしまうという状況が「汚した開幕戦から続く夢の中」だろうか。そもそも結婚式すら挙げていないのだから開幕戦すら迎えられていない感はあるのだがすんなりと結婚に至っていないという部分を「汚した(汚された)」と考えられるかと思う。
そしてこちらも紆余曲折を経て最後にはお互いの"一途"な気持ちが"実った"結果となる。
③私達のいる映画の外の現実世界
映画を観るというのはある意味「夢の中」にいると言えるかもしれない。
チケットを買いスクリーンを目の前にして自ら飛び込んでいく「夢の中」の世界。
映画のストーリーではたいていは事件が起き暗雲が立ち込め"開幕戦"(映画の序盤)は"汚される"運命にあるとも言えるのではないか?
観客は"え?どうなるのどうなっちゃうのこの先?"とハラハラドキドキさせられ映画が終わりエンドロールが流れ主題歌が鳴り終わるその時まで「続く夢の中」にいるのだ。
"一途"にスクリーンを見つめ続けた観客の思いは"実った"のか?
映画の外の現実世界では答えは描かれない。
どう受け止めてどう記憶に留めるか…それは映画を観る者1人1人に委ねられるのだ。
【Vol.11おわり】
【Vol.11後記】
歌の終わりまであと少しと思うと寂しい気がしてきました。
でもまだ私はシンフォニアの歌詞の"夢の中"にいます。
ラストまでどうぞお付き合い下さい。
【つづく】