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『ロッタちゃんのひっこし』リンドグレーン

息子が小学校4年生、娘が年長さんのとき、
ハードな仕事を抱えてしまった。
楽しい仕事でもあったけれど、
楽しいからこそ、頑張りたいことが増えてしまって、やるべきことの他にやっておきたいことまで見つけ出し、持ち帰り仕事を増やしてしまった。

寝る前に子どもと本を読むのは、もともと本が好きな私にとって自然に楽しめることだった。

小学4年生になった息子は、好きな本を自分で読むこともあるし私の読み聞かせを聞くこともある。
息子が小さいころは毎晩、息子のために読んでいた。
娘が大きくなってくると二人のために別々の本を読む期間があり、
段々と息子は自分で読むようになり、
娘の本だけを読む期間に移行していた。
娘が1年生、息子が5年生になった最近は同じ本を一緒に楽しむこともある。
学年が4つ離れていても案外、共通して楽しめる本は多い。

でもあの頃は、何よりもまず私が楽しめなかった。
くたくたの体は早く寝たい。
けれど寝るわけにいかない。
寝かしつけたら、まだやらなくてはいけないことが残っている。
そんな状態で、私は寝る前の本の時間を楽しめなかった。

子どもと本を読むのは楽しくて、好きだったはずなのに。

何かが楽しくなると、そればっかりになる傾向は昔からで、一人だったらそれでもよかったのだけれど、親になると、そのしわ寄せは子どもに行ってしまう。

この時、私は仕事が楽しかった。
浮足立つ私を引き留めるように、娘は幼稚園へ行き渋ったり足が痛いと夜に泣いたりするようになった。
娘の、ままならなさ、は娘に対する私の関心の薄さに起因するのではないか、と気づいたとき。
ぞっとした。
娘は「私を見て! 」と全身で叫んでいたのだ。
散々泣かれながらも、
もう行かなきゃと強めのハグをして幼稚園を後にする。
職場へ向かう道で、私のコートのお腹のあたりに
魚拓のようについた娘の涙の跡、よだれの跡を見て、がっくりとした、あの感じは今も生々しく覚えている。

仕事も、育児も、両立できない自分が情けなく、
仕事の手応えで芽生えかけた自己肯定感が
一瞬で崩れ去る感覚があった。
何やってるんだろ、娘にとってのお母さんは私しかいないのにと。

相当凹んだ末にどっちも手につかなくなりそう、
という最悪の展開に傾きかけた時、
娘のクラスが学級閉鎖になった。

当時の私の第一声はもちろん「げえ」だった。
休みたくないけれど、休まなければいけない。
胃をきりきりさせて職場に電話をかけ、
娘を見たら、まあニコニコと期待に満ちた笑顔で私を見ていた。

感染症にかからずに済んだ元気な娘と、
私は久しぶりにゆっくり本を読んだ。

それがリンドグレーンの『ロッタちゃんのひっこし』と『ロッタちゃんのクリスマスツリー』だ。

ロッタちゃん、愛おしい。
気に食わないことに腹を立てて起こす癇癪の激しさが突き抜けているのでいっそ、爽快である。
娘も私も、えーっと顔を見合わせてしまう。
やっちまいましたなあ、どうするんでしょう。
行くところまで行ってしまって罪悪感は抱く、
けれど、引くに引けなくなってしまう、あの感じ。
ふてぶてしく、果敢に行動していくロッタちゃん。
娘とちょっと似ている。
そしてロッタちゃんのお母さん!
何て懐が深いんだろうと感嘆する。
こんなお母さんだから、ロッタちゃんも最後に、
なんていいお母さんなんだろって思えるんだろうなあと
我が身を省み、しょげたのち、憧れる。
ああ楽しかった、と娘としばし感想の交換。

豚のぬいぐるみのバムセちゃんを「クマだ」と言い張り、
それを馬鹿にしてくるお兄ちゃんには「ぶたグマだとおもってる」
と言い切るロッタちゃんに娘は何らかのヒントを得たらしい。

少し休憩して『ロッタちゃんとクリスマスツリー』。

この本でロッタちゃんは『ロッタちゃんのひっこし』の頃より大きくなって癇癪を起したりはしなくなった。
それどころか家族や、ひっこし先を提供してくれたあのおばさんのために、自然と行動できる子になっている。
口の悪さも、芯の強さも、タフな行動力も、バムセへの愛情も、小さいころのロッタちゃんのまま。
けれど成長ってすごい。
親や、周りの大人のおおらかな愛情のなかで
のびのびと過ごせる子どもはいい。

笑って、どきどきして、切ない気持ちになって、
やった!と快哉を叫んで、
ロッタちゃんのころころ動く心と一緒に、
読んでいる私と娘の心も動いて、
読み終わったときに、読み終わっちゃったね、と思った。
二回目の、ああ楽しかった。

失くしかけていた何かが、
まだここにあるよ、と光って
その在り処を教えてくれたような感覚だった。
学級閉鎖と知らされた時「げえ」と汚い声を漏らした私の横っ面を、タイムトラブルできるようになったら、はたいてやりたい。

あれ以来、子どもとの本の時間を毎日楽しめているかというと、そんな訳はない。
そんなに簡単にうまくはいかない。
もう寝なきゃいけない時間だからと、
長いお話をせがむ娘に短いお話を読んで
「もう終わりか」とため息をつかれることもある。
しかもそういう夜は中々寝ないので、
長いお話でもよかったな、と後悔しながら寝つく。

それでも、時々、光る何かがある。

娘と息子が『長靴下のピッピ』でゲラゲラ笑ってくれた時もそう。
何度も読んだ『おばけのコッチ赤ちゃんの巻』を娘が、
また読んでと言う時もそう。

この感覚を忘れないように、
書き留めたいなとおもった本のことを
これからも細々と、ここに書いてみたい。

色々なことを忘れやすい私のための備忘録でもあるこの文章が、
そう、私もこの本が好き! と思ってくれる誰かや、
読んでみたいな、と思ってくれる誰かに届いたら、とても嬉しいです。

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