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勿忘草をあなたに

今日は九回目の月命日。
春馬くんの誕生日の後は気が抜けてしまい塞いでいた。

そんな毎日でも無常にも季節は進み、私の住む国にも遅い春が訪れて、地面のあちこちにスプリング・エフェメラル (Spring ephemeral)とよばれる儚い春植物が顔をのぞかせはじめた。

勿忘草は春馬くんの誕生花。
男性だけど野に咲く可憐な花が似合う人。

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無心にペンを走らせていると、徐々に白い画面に春馬くんの輪郭が現れてくる。
そのたびに、懐かしい人にまた逢えたような気持ちになる。

涼しげで澄んだ瞳、すっと高く美しい鼻梁、程よい厚みの唇と引き締まった口角、顎から首にかけての流れるようなライン…描きながらも見惚れてしまう。
写真を見ながら細部までじっくりと描いていくと、春馬くんの顔は本当に一つ一つのパーツがとてもバランスよく整っていることがわかる。
自分が描いた絵でさえ、その視線の吸引力に目が合うたびドキッとする(苦笑)。
薄っすら髭が生えていても、この清潔感。
こんなに麗しい男の人は、やっぱりそうそういない。

だけど、顔が美しいだけならここまで魅かれていない。
その憂いを含んだ翳りのある表情、無邪気な笑顔、清らかで繊細な佇まい、そのどれにも感情の揺らぎのようなものが漂っている。
そこから人々は物語を感じとり彼に魅かれるのだと思う。
ただ眺めているだけでも、感情を掻き立てられる人なのだ。
それにしても、若い頃と20代後半(それでも十分若いが)では、ベースは同じはずなのに驚くほど顔つきが変わっているのを、描いていても実感する。
こんなに短期間で人は成熟するものだろうか…。
どれだけの鍛錬と奥深い精神の到達があったのだろう…と考えてしまう。
30歳前にして、すでに大人の男の渋みや貫禄さえも身に纏っている。


今、春馬くんをモーレツに描きたい衝動に駆られている。
この9ヶ月、作品も動画も写真も浴びるように見てきた。
そこから、なぜか春馬くんを絵に残したくなった。
描きながら、春馬くんと対話しているのかもしれない。

若かりし頃アートを学んでいたこともあったけれど、とりたてて抜きん出るものがあったわけでもなく早々に見切りをつけた。それ以来一度も絵筆を握ることはなかった。
そんな私が春馬くんを描きたくて、先月の誕生日に夫からペンタブレットをプレゼントしてもらった。スケッチなんて、最後にしたのはいつだったか思い出せないくらい昔のことだ。
春馬くんを知ってから、記憶の隅に仕舞いこんで忘れかけていたことが次々と浮かんでくる。それは過去に葬り去った夢や憧れであったり…。

描き始めると没頭し気づくとあっという間に何時間も経っていて、夜な夜なペンを片手にMacにかじりついてる。
永遠に若くて綺麗なまま逝ってしまった…と思うと、泣きながら描いていたり。
お母さん、泣いてるの…?この人誰?と息子が怪訝そうにしている。
涙と老眼で手元が霞んで見えないよ…春馬くん…。

あなたが私に再び絵筆を取らせたのだよ。
今は子供の頃みたいに、ただ描きたいから描いている。
純粋に描くことへの楽しさが甦ってきた。


春馬くん、ありがとう。
こうやって、あなたから沢山のギフトを受け取っている。


春馬くん、
あなたを忘れられるはずがない。





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