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掌編小説「ジョンは何でもお見通し」

 友人のジョンが殺された。  朝のコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた僕は、目を疑った。犯人はエリーゼ夫人。エリーゼは同郷のクラスメイトで、ジョンの妻だ。  ジョン・ルマンド氏が、エリーゼ夫人の浮気の証拠を見つけたことから揉め事になり、エリーゼ夫人は、チェストから取り出した拳銃で——新聞にはこのような内容が書かれていた。  僕は天を仰いだ。悪い夢だと言ってほしい。あのジョンが拳銃が見えないはずがない。だって君は、何でもお見通しだったじゃないか。  ジョンには昔から不思議な力が

掌編小説「引っ越し蕎麦はいらない」

 わたし、魚沼千夜は三人姉弟の真ん中。おうし座。出身は新潟。好きなものは美味しい食事とお酒。  就職をきっかけに上京して数年。たまに友達や先輩とお茶をしたり、甥っ子たちの子守りをする。仕事もやりがいを感じ始めて、それなりに充実した独身生活を送っていた。  このままでもいいと思っていたけれど、三十歳になった今年、守屋宗一郎さんと入籍した。  同い年の宗一郎さんとの出会いは、結婚相談所だった。  お姉ちゃんは結婚して男の子が二人いて、弟は彼女と同棲中。わたしは上京してから地元の彼

掌編小説「めんつゆの海を泳いで」

 土曜日、遅めの朝食に素麺を茹でることにした。  梅干しを一粒入れた鍋にたっぷりの水を沸かし、素麺を三束解いた。化粧木箱入りの上等なそれは、義姉からお中元に頂いた代物だ。 「起こしてもよかったのに」  まだ眠たそうに欠伸をする千夜は、寝巻きのままでエプロンを締めている。 「いいよ。折角の休日なんだから」  妻は意外と朝に弱い。昨夜は遅くまで韓国ドラマに夢中になっていたから、寝坊をしても仕方ない。  僕はといえば、普段の平日と変わらずに目が覚めた。  まずはリビングの窓を開けて

掌編小説「ロールキャベツと入刀記念日」

 未知のウイルスはわたしたち夫婦の生活を変えた。  わたしの自宅勤務はしばらく続きそうだし、宗一郎さんは来週から時差出勤だ。変わったのは働き方だけではなくて、お気に入りのバルを始め、近所の飲食店は休業を余儀なくされた。こればかりは仕方ない。  日々の自炊は(時々手抜きはするけど)苦ではないし、宗一郎さんとの晩酌も楽しみだ。それでも外食には新たな発見もある。  巻かないロールキャベツを教えてくれたのも、例のバルだった。  雪が降りそうなほどに、うんと寒い日だった。  深皿で出

掌編小説「千夜の晩酌」

《不用品です。ご自由にどうぞ》  暖簾を下ろした居酒屋の軒先に、そのような書き置きと木箱があった。  立ち止まった男は、休日の買い出しの帰りだった。  二つに仕切られた木箱の中には徳利と猪口が入っていた。猪口の数は徳利よりも多く、底に蛇の目が描かれた白磁器から、繊細な模様の刻まれた切子まで、色や形状も様々だ。  男は深みのある緑色の猪口を選んでから、折角ならと同じ容姿の徳利を持ち帰ることにした。陶芸の類いはさっぱり分からないが、どこか親しみを感じる陶器の風合いが、死んだ妻に似