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第31話「前に進まないとゴールには決して辿り着けない。そして、僕は未だゴールに辿り着けない。」

走ることについて、
今までにも何回か書いてきたので、
「またか」
と思われる方もいるかも知れないが、

先週末に
UTMFの「KAI」という
68.4km累積標高+3,064-3,066に挑戦したので
(100マイル170kmは自分を過信していないため走れない)
そこで感じたことをお伝えしたい。

同じレース、同じコースなのに、
昨年は69.4km累積標高+3,675m−3,668mであり、
事前のブリーフィングでも、
昨年のデータを参考にして
準備して欲しいと言っていたので、
富士山を海から頂上まで登り
降りてきたくらいの感覚なのかも知れない。

UTMF「KAI」コース図

地図を見てもらうと分かるように、
富士急ハイランドを出発して
戻ってくる一周のコースであり、
途中エイドがK1〜K4まで四つある。
ということは、
5つの区間を走るというか
歩くことになるのである。


K2までは、比較的走れる部分が多く、
「山中湖きらら」までの約30km弱を
4時間程度で辿り着いた。

当日は、肌寒い日であり、
立ち止まると
体が冷え切ってしまうのであるが、
豚汁とおにぎりとコカコーラを補給し、
K3「二重曲峠」に向けて進むのである。

ここからが本格的な山登りになり、
体力を使うことになる。

昨年の11月に
右ふくらはぎの肉離れをやってしまい、
1月中旬まで
ほとんど走ることができなかったこともあり、
この大会までに
2回のフルマラソンと
30km程度のトレイルの大会に
出ていたのであるが、
本当に脚が最後までもつのか
不安は募りながら、
急登を一歩一歩
確実にゆっくりと登る。


そして、
失敗してしまったのである。

割と体調に余裕があったこと、
そして補給したエナジージェルや
エナジーバーの味が
口に合わなかったこともあり、
本当は1時間毎の補給が目安なのに、
補給を怠ってしまったのである。

結果、K3「二重曲峠」まで、
昨年より早く着いたのであるが、
エイドについた途端、
急に吐き気が襲ってきて、
本来ここで、
おにぎり、味噌汁、パンなどを補給し、
最難関の「神の子」「杓子山」に
向かわなければいけないのであるが、
動けなくなってしまったのである。

またもやハンガーノックである。

ストーブの横の椅子に座り、
40分程度休んでいた。

取り敢えず、バナナを一本
ゆっくりと口で溶かしながら、
入れることができた。

水は飲めないが、
コーラと白湯は少しずつだが
飲むことができた。

もらったおにぎりを一口だけ口に入れて、
ライトをつけて前に進むしかないのだ。

K3「二重曲峠」のエイドは、
山の中のため
基本リタリアができず、
最終エイドである
K4「富士吉田」まで
這ってでも進むしかない。

暗闇の中を、
ライトを頼りに
カメのようにゆっくりと進む。

後ろから、
遠くに見えた光が近づき、
何十回も追い抜かれていく。

「神の子」の登りは、
鎖を使い、
岩場を両手両足を使いながら
登り続ける。

実は、大変そうに見えて、
僕には救いだった。

渋滞になっていて、
全員がゆっくりと
進まざるを得ないこと、
「鎖場」は自分の番まで待つ必要があり、
少しの間であるが休めること、
そして基本登りは早いが
下りは遅いため
ゆっくりであれば
進めるのである。

そして「神の子」を経て
「杓子山」の頂上に辿り着いたのである。

「杓子山」の頂上では、
頂上に設けられている椅子に座り
木のテーブルに頭を乗せて少し休む。

頂上からは、街の灯りが美しく、
これから下り「富士吉田」まで辿り着こうと
急坂をよたよたと降りていく。

急坂が終わり、
林道の下りが続くのであるが、
そこで異変が起こる。

真っ直ぐ歩けないのだ。

狭い林道の左側は崖である。
できるだけ真ん中を
進んでいくのであるが
気がついた瞬間、
崖から足を滑らしていて、
かろうじて10m程度落下したところで、
草を掴み留まり、
元の林道まで這い上がった。

体中、枯れ草だらけであったが、
前に進むしかないのだ。
僕を抜いていく一人が、
「大丈夫ですか?眠いですか?」
と心配して声をかけてくれた。
「ハンガーノックですが、
後少しなので大丈夫です」
と答え進み続け、
もう一人声をかけてくれた人は
吐き気止めの薬をくれた。

そして、K4「富士吉田」のエイドに
辿り着いたのである。

 k4「富士吉田」のエイドの名物は、
『富士吉田うどん』である。
当然、もらっても暖かな汁を少し飲むだけで、
麺や具は食べることができない。
白湯を何杯かもらい
水分を少しずつ体に入れる。

気温は、5度以下なのだろうか?
吐く息が白い。

取り敢えず、
持っている衣類を着込み、
(ダウン、レインウエア、ネックウオーマー)
休むしかなかった。

さて、ここからなのである。
決断すべきなのだ。

リタイアする勇気、
決して諦めない折れない心が葛藤する。

真っ直ぐ歩けないぐらいの状態で、
本当にあと15kmを進めるのか?
ハンガーノックで死ぬ人も出るんだぞ。

後、たった15kmでしかない、
制限時間まで7時間近くあり、
時速2kmでも十分ゴールできるから
進むべきだ。
後で、後悔したくないだろう。

その時に、更にこんなことを考えていた。
塾生に撤退するという
決断を伝えることも大切だ。
いや、決して諦めない姿を見せたいと揺れ動く。

更に、10日ほど前に見た
NHKのGreat Race/UTMB
(Ultra Trail Du Mont Blanc、100マイルレース)
の再放送で、
優勝候補の一角と見做されていた
日本人の選手が、
やはりハンガーノックになってしまい
10時間以上も飲まず食わずでも
諦めずに歩いている姿を目にしていた。

3位以内を目標としたその選手は、
大概のトップ選手が、
目標を達成できないと分かると
リタイアするものなのであるが、
結果、リタイアをすることなく
百何十位かでゴールをした。

多くのスポンサー、
サポーターの期待を裏切り
「下位に甘んじる」
みっともない姿を晒すべきか、
リタイアすべきかどうか迷ったが、
自分の子供と家族に
諦めない姿を見せたいと思い辿り着いた。

彼も葛藤したのだ。

そして、ゴールした瞬間、
葛藤は融けて、自らを祝福したのである。

僕は、
バナナを一本食べることができたら、
出発しよう。
それが無理なら、リタイアしようと
バナナをもらい、半分を食べ切った。

これならいけると思って
残り半分を食べたら、
吐き気が催して、
トイレに駆け込み吐いたのであるが、
トイレまで真っ直ぐ
小走りで進めたのである。

結果、40分だろうか?
もしくは、1時間程度
休んでいたのかも知れない。

寒さで震えが止まらない体を奮い立たせ、
前に進んだのである。

結果は、朝5時前の
17時間48分45秒と
予定よりかなり遅れたが、
ゴールに辿り着いたのである。

ゴール地点では、
徐々に夜が明けはじめていて、
なにか清々しかった。


急いで着替えて、
駐車場に向かい、
仮眠を取ろうか迷ったが、
渋滞が始まる前の空いている時間の方が
眠気を誘うことはないだろうと、
河口湖から横浜まで帰り、
暖かいお風呂に入り、
洗濯をして、
ヨーグルトを少し口に入れて
眠りについたのである。 

ゴールしてまだ1週間も経っていないのに、
実は、もう来年の「KAI」に出たいと思っている。
あれ程、苦しんだのに、
来年こそはと思う気持ちが湧いている。

挑戦することは、魔物である。
限界を突破して得たものはなんだろうか?
そして、限界に打ちのめされて敗れたとしても、
挑戦したいという思いがある限り、
まだ生きることができるのではないか?

走ることは、挑戦することの
一つの表れに過ぎない。

仕事でも、生きることでも、
自分の限界に挑戦する。

そして、挑戦するために
耐え得るように準備し努力する。

その先に、得ることのできるものは、
自分の心の強さや弱さを知ることと
自己満足でしかないのかも知れない。

さて、僕は、
そして人は
一体いつまで走り続けるのだろう。

ゴールには、未だ辿り着けない。


森の黒ひげ塾
塾長 早川 典重


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