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一人芝居による言語学習

学生時代は英語劇にどっぷり浸かっていた。それがいい意味で自分の言語学習に大きな影響を与えたと思う。単に言語の学習だけではなく表情からジェスチャーなどノンバーバルなものを含めてトータルに学習することを学んだ。ある意味、自分に合った言語学習法と出会えたと言ったらいいだろうか。

真似に明け暮れる

  とにかく真似を徹底的にやった。発音、声帯や形態模写(芸になるほどのものではない)をした。インターネットもDVD(CDさえ)もない時代だ。映画しかなかった。映像を頭に焼き付けるため名画座に一日入り浸り、何回も見る。頭に残った台詞をノートに書き取り、ジェスチャーなどはメモし、動きのイメージを頭にたたき込む。座りながらだが手と表情だけはその場で動かし体に覚え込ませようと努力する。(周囲から気持ち悪いやつだと思われていただろうなぁ) そして、近くの公園でそれを実際にやってみる。まぁ、端から見たら変人か変態(?) に見えたことだろう。
  とにかく、最初は動きと言葉が連動しないのと、ぎこちなさが抜けない。これが一体化するまで当時は繰り返していた。回数などは覚えていないが数日繰り返すと何とか形になってくる。これを学校のネイティブに試す。こんなことばかりやっていた。一人二役にも三役にもなってやる。声色を変えて一人芝居もどきを無意識にやっていた。

一体化するということ

  言葉の意味などは後付けで補う。実際は英語ど素人の当時の私が聞き取れる英語などあいさつや簡単な文だけだ。はじめは "Hey"だの”Hi"だのを表情やジェスチャー付きでコピーするようなものだった。ネイティブの先生によくからかわれた、「お前、"Hey"と”Hi”の時だけアメリカ人だな。他は全部日本人だけど」と。これは褒め言葉と解釈していた。この効果が絶大だと実感したのは、そのジェスチャーをすると自動的に言葉が出てくることだった。言葉(思考)より先に体の動きで言葉が付いて出てくるようになっていた。実は日本人の友達と町中でばったり会ったとき、あいさつする瞬間にこの反応が起こった。かっこ悪いというかバツが悪かったが。体は言葉を覚えている、それを体感した。

一人寸劇への転化

  人前ではもちろんやらないが、一人の時はよく英語のトレーニングとして一人寸劇をやる。これは現在もやっている。ある状況(Situation)を頭に思い浮かべ、AとBの会話のダイアログをアドリブで行う。同じ場面で異なるキャラクターにしたり、双方が異なる反応するスクリプト2~3パターン行う。ジェスチャーや表情付きでだ。 時々、話が際限なく広がって落とし処がなくなることもあるが、それはそれでOK。
  仕事などのプレゼンテーションの前や交渉事のときにはこの一人寸劇はかなり役に立つ。言語練習ではなくシミュレーションになってしまうが。思考のトレーニングにもなる。自分の目の前にもう一人の自分がいて、時には友人、時には敵になる。男にも女にも、老人にも子供(動物にも宇宙人にも)にもなる。好きなキャラになれる大いなる空想家や妄想家ともいえる。

言語学習としての側面

新しい表現や単語を学ぶときも例文を作る傍ら、文脈を作って一人寸劇をやることが多い。そんなに長いものではなく、簡単なやり取りを1~2往復やる。できるだけ印象的(ドラマチック)な状況を作ってやると効率よく頭に入ることが多い。頭だけではなく、全身を使うことで様々なネットワークを複合化できる。極端な場合、頭で考えて出てこなくても動きで出てくるという不思議な現象が起こることがある。英語でも日本語でも、「読めるだけでいい」という人には役に立たない手法だが、私のように「話す」に特化させたい場合、効果はある。但し、このやり方は人の性格によってやれるやれないがあるので無理押しはしない。ただ、ここまでやらなくてもつぶやいてみる、声に出してみるということは重要だ。このような経験からある程度言えることは、言語、とりたて「話す」についてはスポーツと同じだと思う。どんなに理論書やルールブックを読んで理解しても、実際に選手としてプレーできないのと同じなのだ。これは誰でも理解できると思う。「話さない人」は「話せない」になる。(能力の問題ではなく体の機能ができていない)

使うために

  私は英語にあまり接することのない時期があった。使う場がなくどうやって自分の英語を維持するか思案した結果、一人劇と音読でしのいで英語を話すための筋肉を維持したことがある。ご存知の通り、筋肉はサボるとすぐに落ちる。言語の場合、それは失うに等しい。"Use it, or lose it" は、本当に的確な名表現だと思う。英語だけじゃない、母語である日本語だって数日黙って過ごしただけで滑舌が悪くなるだけではなく表現が出てこなくなる。
  間違えようが発音が悪かろうが話した人が上達するのは事実だ。 また、言語というよりコミュニケーションはジェスチャーや表情、声の調子などが驚くほど大きな意味を持つ。
  いささか話が脱線してしまったが、一人芝居(劇)というのは手法としては特殊かもしれないが、本気で取り組む人がいるとするならそれは相応な効果をもたらしてくれると思う。言語学習法としてはレアケースかもしれないが、こういうやり方や世界観が好きな人には合った手法かもしれない。

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