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千葉雅也さんのしもつけ随想①白いイタリア料理店

最近気になっている方がいる。それは同郷で同い年であるが、東大を出られて留学し大学院の教授であるという、私とは雲泥の差の経歴を持つ千葉雅也氏のこと。

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彼は教授であるが作家でもあり、まだ著書をちゃんと読めてないのだけど(はやく読みなさい)いま手元に2冊ある。「デッドライン」では芥川賞候補にもなっている。

どうでもですが立命館の先端研は岸政彦先生もいらっしゃるし小説家が多いのか?(さらに余談、先日岸先生の「東京の生活史」プロジェクトに応募しましたが見事落選しました…本を楽しみにしています!)       

千葉さんはTwitterで見かけて、宇都宮についてのつぶやきをされてて、はっ!と思ったのだけど、高校時代を過ごした1990年代位の宇都宮の中心部の雰囲気をこういうふうに表現する方がいることがとてもうれしかったのであった。貴重。

その千葉さんが郷里栃木の地方誌、下野新聞に連載されるというので、さっそく地元にいる妹に記事を送ってもらい拝読した。「しもつけ随想」という、栃木出身の著名人によるふるさとについてのエッセイのコーナーだ。(2020年7月22日付下野新聞21面に掲載されています)

冒頭、出身が宇都宮というとすぐ餃子と言われてしまうことへのうんざり感が述べられている。そうですね、確かに食べたし、食べるけど。以前宇都宮のタウン誌を作っていた時、餃子のお店特集はあまり売れなかった。地元の人は餃子の新規開拓はしない。そのかわり東京などからたまに問い合わせが来たりしていた。たぶんそんな存在感なのだ。餃子像も。

エッセイには東武デパートの5階のおもちゃ売り場の天井にいた太陽が怖かったこと、オリオン通りのお城みたいな「大人のお風呂屋さん」について書かれている。ああ、あったあった!タイトルの白いイタリアンのお店は私はわからないけど、あの頃、東武デパートの辺りは田舎の子どもの私にとって大都会だった。千葉さんがあの頃のあの場所のイタリア料理店から東京への羨望が生まれていたのなら、すごく共感できると思った。

あの後、宇都宮PARCOができたりと(私が宇都宮を出る春にちょうどオープン、そして昨年閉店)、宇都宮は東京を追いかけていたけど、結局今に至るまでメジャーなセレクト・ショップがない。宇都宮ってそういうところが宇都宮だと私は思っている。突き抜けなさというか。仙台にはなれない。佐野や那須にセレクト・ショップのアウトレットはあるけど。だから当時ビームスやトランスコンチネンツのショッパーが価値があったりしたのかと思う(違うかも)。ああトゥモローランドはありましたね…

なんの話?そうですね、宇都宮が東京を追いかけるように、私もその後上京したけど、あの空気感の中で多感期を過ごしたなら一度は上京しないといられなかったのかも、とも思ったりする。一種の焦りのような。

次に帰省したら千葉さんをまねて、東武のあたりをふらふらしてみたい。そうそう千葉さん、私たち小田茜と同い年ですよ!



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