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小説『食べ物が入っている』

2014年作の小説です

他の子の園服の襟のところには花や熊や車の形の刺繍がしてあるのに、私の園服には刺繍がない。
他の子はお母さんに手を引かれて幼稚園に来るのに、私の手を引いて連れて来るのは近所のおばあさんだ。
他の子のお弁当箱の中には、小女子という小魚を甘辛く煮た佃煮は入っていないのに、私のお弁当箱には茶色くてごちゃっとした小女子の佃煮が入っている。

朝5時に起きて現場の仕事に行くお父さんが「自律神経失調症」になったお母さんの代わりにお弁当を詰め、お弁当と一緒に私を、幼稚園に連れて行くのに早すぎない時間になるまで近所の家に預ける。
そこの家で一番ひまなおばあさんが時間になったら私を幼稚園に連れて行く。

おばあさんと一緒にほとんど無言で15分ほど歩くと幼稚園に着いて、絵を描いたり歌をうたったりしているうちに、お弁当の時間になる。
私以外の子ども達はお弁当の時間になるとはしゃぎだすけれど、私にはその気持ちがわからない。
開けたらお父さんが炊いたご飯とお父さんがスーパーで買った小女子の佃煮が入っているとわかっているお弁当箱のふたを開ける時に私は何も感じない。

いつもと同じように、何も思わずお弁当のふたを開けようとした時だった。
私の席からは遠い原ユキのまわりが騒がしくなった。
隣の席の男の子が席を立って駆け出し、原ユキのあたりで起きた騒動を見に行く。原ユキから席の近い女の子は、椅子から腰を浮かせて、原ユキの机に置かれた物を覗きこんでいる。
先生まで、いさめながらも興味深そうだ。
その時、ひとりの男の子が嬉しそうに叫んだ。
「虫だー! 原が弁当箱の中に虫を入れてきたぞ」
立ち上がった原ユキは、なぜか得意気に言う。
「ちーがーうー! これはね、イナゴって言って、虫じゃなくて食べ物なの」
「だからイナゴは虫じゃん」
さっきの男の子が言う。
「でも美味しいんだよ」
原ユキが、皆に見えるようにお弁当箱と箸を持って椅子の上に立ち上がった。
「ほーら」
足の生えた茶色い物を口に含む。

原ユキの口に入る直前のイナゴを、私はしっかりと見ていた。
開けそびれていた自分のお弁当箱のふたを開けて、私は呟いた。
「似ている……」
あのイナゴはたぶん、私のお弁当に入っている小女子と同じようにして作られたものだ。イナゴの、佃煮なんだ。
『でも……』
と思った。
また原ユキのほうを見ると、今度は原ユキからもらったのであろう男の子が、ちょうどイナゴを口に入れるところだった。
悲鳴を上げる子も出てきて、先生は、早口でイナゴの佃煮の製造方法について説明する。そして「食べ物です、食べ物です」と繰り返していた。

私は白いご飯と小女子の佃煮だけが入ったお弁当箱に視線を落としつつ、ゆっくりと頭の中で言葉にする。
これは……。
食べ物で……。
あれは……。
食べ物ではない。

遠くの喧騒をよそに、小女子の佃煮を食べた。舌に小骨が当たる感触がして、それは甘すぎ、でも、少しだけ美味しいような気がした。

(了)

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