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「いいなぁ」なんて、言いたくない。漫画から学ぶデザイン思想〜忘却バッテリー〜

会社員デザイナー10年、フリーランス3年目のしのこです。
ShIn-Designという屋号で3年ほど、個人事業主として活動しています。

「漫画から学ぶデザイン思想」
このシリーズは、しのこがもともと大好きな「漫画」の中から「これってデザインに通ずるな」と思うトピックに注目し解説していきます。

本noteには「忘却バッテリー」に関するネタバレが含まれています!ご理解の上、お読み進めください。

ジャンププラスが大好きで、その中でも最近アニメ化した「忘却バッテリー」は、原作も素晴らしいがアニメ化されてよりクオリティが上がったと認めざるを得ない作品です。

そしてあるキャラクターの悩みの描写が、デザイナーの自分にはあまりにも突き刺さるものだったので思うことをかいてきます。


忘却バッテリーあらすじ

「いいなぁ」と絶対に言いたくない。
二塁手 千早瞬平

出典:https://boukyaku-battery.com/chara/chihaya.html

技術と理論に基づいたプレースタイルで、野球の知識も豊富。斜に構えた性格だが、部員へのアドバイスをするなどチームの頭脳としても機能している。

https://boukyaku-battery.com/

キャラデザから見ても斜に構えてるな〜インテリメガネっぽいな〜と見られがちな彼ですが、ある意味そのイメージは当たっています。

野球の世界でフィジカルに恵まれない千早は、努力と理詰めで相手を分析し、自分より優れた選手を差し置いてチームを任せられるほどのプレーを展開してきました。しかし、彼のプレースタイルは一方的であり、努力ではどうにもならない部分を認められませんでした。
そんなとき、清峰葉流火と要圭との試合で、彼らの天性のフィジカルと華麗なプレーに触れ、天賦の才能と努力が融合した存在に心を砕かれます。

試合後、普段と変わらずに練習をし努力を続けますが、どんどん調子が悪くなる千早。フィジカルの高い同級生との掛け合いで、つい彼が「嫌いな言葉」を吐いてしまいます。

「いいなぁ」

それは自分が負けたと認めること。
また、相手の生まれ持った個性のみを称賛し、相手が積み重ねた努力を無下にする言葉であると千早は考えていたからこそ、その言葉をとても嫌っていました。

たった一言。
自信が言葉を放った日から一切の努力をやめ、野球自体も封印します。
クラスではおしゃれ伊達メガネをかけ、野球嫌いを公言。
自宅でも今まですべて野球の分析に使っていた時間も、音楽や勉強などの趣味の時間にあてます。

「今までやる時間がなかったから丁度良い!」
そう言いつつも、時計の針は進まない。
野球ほど熱中できない他の趣味は、千早の心を奪うことはできなかったのです。


デザイナー3年目あたりの自分を思い出して、グッとくる

続けることで見えるものに絶望することもある

デザイナーは努力と知識の積み重ねで成り立つ職業だと思いつつも、やはり幼少期のバックグラウンド、何を趣味とし何を見てきたかはデザイナー人生には大きく影響を及ぼすとわたしは考えます。

美大卒でも無く、両親や周りの環境が美術関係ではなかったわたしにとっては、絵を描いていたことは大きいアドバンテージでもあったとは思います。

ただ、絵の世界でも努力や研鑽は必須です。
むしろその努力の上に天賦は降りる、と信じたいくらいには土台にあります。
センスや美的感覚はその上に成り立つモノでもありますが、じゃあそれが全てか?と言われると言葉は濁ってしまいます。

デザインでも、それは同様に思います。

専門学校に入学した時でも、多少センスや技術的レベルには差がありました。わたしは学校の中で特別レベルが高いわけでは無く、むしろ下手な部類と講師には言われていたので、めちゃくちゃ自信はありませんでした。

卒業後、わたしは制作会社に入りましたが、まぁ当たり前なのですが先輩方はわたしなんかよりも遥かに経験値・スキル・デザインの引き出し・審美眼を持ち合わせていました。
今考えると、先輩方を見て自分は…と絶望するのは早計すぎるなと客観視できますが、やはりどうしても他人が積み重ねてきたものに対し、「羨望の目」を持ってしまいました。
そしてそれは新卒の時期を抜けた、デザイナーとして3年目くらいまでは持っていたと思います。

千早は他人に頼ることを選んだ

一方、千早は高校選びには野球部のない都立高校を選択します。
関係者のいない環境でのびのび、野球を忘れて日々を過ごそう
そう思っていた矢先に、過去の自分を打ち砕いた清峰葉流火と要圭も同じ学校に入学していることを知ります。

主人公である要圭が記憶喪失となり、千早を含めた過去に対戦した選手のことは一切忘れてしまいます。しかも野球自体も忘れているし、更には本能的に野球を嫌い遊びたいと駄々をこねる要圭。
かつては「智将」と呼ばれ界隈から一目置かれた存在は、もはや周りからは「恥将」とまで呼ばれる始末です。
そんな最中で、千早は再び野球をすることとなります。

他校との対戦の中、過去に共に野球をしていた同級生と出会うことになり、改めて己のフィジカルの限界を思い出させられます。
当時の監督は、千早に自身の弱みを教えてはくれませんでした。

千早自身は「天性のフィジカルがない」「努力が正しい形でできなかった」と決めつけていましたが、実はまわりのメンバーは千早をしっかりと見ていて「試合中にチームメンバーを信じ、頼れないこと」がウィークポイントであることに気づいていました。

千早は最後の最後で、現在のチームメンバーを頼り、大事な場面を要圭に委ねます。

自身の世界だけの浸らずに、まわりと向き合って進むこと

わたしは正直、アニメのこのシーンで泣いてしまいました。
千早の頭の回転の速さ、相手を分析しあえて嫌な手段を取る剛腕さ、そしてそんな自身のプレースタイルを好いている千早のことは、すごく分かるなと思っていたからでした。

ただそれでも、自分が足りないことだったりどうしても追いつけないこと、一人では見れない景色を見るために「周りに相談する」「もっと自分を開示する」ことが苦手だったことも、とてもよく似ていました。

野球は結局ソロプレーである
過去の千早はこう心のなかでつぶやきますが、「チームの中の千早」を客観的に見ることは、いくら賢い千早でも物理的には不可能です。
自身のバイアスだったり、賢いがゆえに別の発想を思いつけない欠点を、誰かに指摘されるまでは認識することは難しいでしょう。

デザインに当てはめてみると…

デザインにもこれは近しいものがあると感じます。
デザイン自体は正直、ひとりでも完結することは可能です。
もちろんディレクションや営業も自身でこなさなければなりませんが、マルチタスクが得意な方は割とできてしまうことも多いです。

ただ、デザイナーがデザインの技術力や表現力、考え方の振れ幅を広げていくためには、「大事な場面で相手に頼ること」もすごく大切です。

頼ること、信じることは実は容易ではなく、慣れていない方からすると精神的負荷も大きい作業です。一人で終わることができるなら、支障になりそうな出来事は避けたいのは当たり前ですから。

それでも、ひとりで見ることのできない景色(デザイン)を作るためには、頭を下げて人に頼ることが、結果的にプロダクトにとっては良いんじゃないかな、と気付けることが多くなりました。

まとめ

自身で自分の分析を行ったり、改善をしたり、努力し続けることはとても尊い行為です。そして、自身が思っているよりも、本当に大変なことでもあります。

それでも、どうにもならないこと。絶望してしまうこと。
その時に見えていた課題が本当にそれなのか?は、もしかすると一人で気づくのは難しいかもしれません。

そういう時、自分がどれだけ相手に心を開き、また自身が誰かに頼ることを許せるのか。
問題の本質的な解決は、実はこういったメタ的な気づきなのではないかなと思わせられる一話でした。

よければアニメを見てみてください。
原作の漫画はもっと味が強めな感じですが、かなりオススメです。


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