救世主

「救世主!!」 

 商店街で福引の順番を待っているときのことだった。

  僕は白い息を吐きながら、主婦たちと一緒に何色の球が出るか気にしていた。

 声が聞こえたのはそんなときだ。

  一人の老人がこちらに矢のように向かってきた。 真っ白な頭髪はきちんと後ろになでつけ、鼻の下に上品な白ひげ。執事が着るような黒のスーツ。 僕の前でスッと止まる。

 「お待ちしておりました」

 「え?」 

  ざわつく周囲。 

 「さあ、こちらへ」


  構わず老人はそう言って、僕の手を取りどこかへ向かう。 

 戸惑いはしたが、騒ぎたくはない。とりあえず無害そうだし、促されるまま歩いていく。 

「やっとお会いできましたね。大きくなりまして。ワタクシを覚えておいでですか」

  なんて懐かしそうに言われても。 こちらは執事っぽい服を見るのも初めてなのだ。 

「詳しい話は車の中でいたしましょう。誰が聞き耳を立てているとも知れませんから」  

 そして彼は、ある車の前に僕を連れて行った。大使館なんかで見るような、頑丈そうな黒塗りの外車だ。

「中へ」 

 老人はサッと後部座席のドアを開ける。言われるがまま僕は車に乗り込む。 中に二十代後半くらいの美しい女性がいる。

 黒いパンツスーツを着、スラッとした脚を組んでいる。瞳の奥に強い光。まさに戦う女性という感じ。 

 「お待ちしていました」

  彼女はそう言って、クールに微笑みかけた。 目の中にこちらを値踏みするようなものはまったくない。老人同様、僕はすっかり彼女に受け入れられているようだ。

  老人はドアを静かに閉め、運転席に付く。 慣れた手つきでギアが切り替えられ、音もなく車は動き出す。  

「彼女には、これからあなた様の身の回りのお世話をさせて頂きます。もちろん、護衛もです」

  走り出してすぐ、老人がそう言った。

 「必要ないなどとはおっしゃらないでください。彼女は生まれたときからあなた様をお守りするためだけに育てられてきました。あらゆる体術やサバイバル技術、拷問への耐性、それから情報・操縦技術の他に、世界中の料理や語学教育などを施してあります。どうぞご自由におつかいくださいませ」

  僕は彼女を見る。彼女は微笑んで僕の視線を迎え入れる。 顔を戻し、恐る恐る老人に尋ねてみる。 

「あの、よく判らないんですけど。これってどういうことですか」

 「大丈夫ですよ。もうそんな芝居などしなくても。盗聴の心配もございません。それとも、まだ我々のことが信じられませんか?」 

「いや、そうじゃなくて、あなたたち、一体何を言っているのですか」 

  少しの沈黙。 それから車のスピードが遅くなる。 

 「失礼ですが、お、お名前を」

  老人がルームミラーでちらちら見ながら、そう尋ねる。

  僕は自分の名前を告げる。

 車が路肩に横付けされる。

  僕は財布から保険証を取り出し老人に見せてやる。 

 「……ど、どうやら私たちは、とんでもない勘違いをしたようです」

  彼がとても動揺しているのが分かった。髪もちょっとだけ乱れている。

  隣の彼女は、さっきとは明らかに違う質の微笑を浮かべている。 目は合わせてくれない。

  僕は保険証を返してもらい、無言で車から出て福引の列に並びに戻った。

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