眠れる森は月と踊るⅢ 完

こちらBEYOOOOONDSの眠れる森のビヨのネタバレありの感想、最終回です。

前回から随分時間が経ってしまったことお許しください。

というのも、9年戦いの様だった祖母の介護の終わり、つまり亡くなったからです。

森ビヨ自体が幸か不幸かがテーマですが、祖母の身にそれが起きてしまい、現実は小説よりも奇なり…この身で感じておりました。

祖母に関してすこし。私の整理のためにも書かせてください。

もう、25年前でしょうか。くも膜下出血で倒れ、病院に運ばれたのは。当時あまりくも膜下出血という病名自体もあまり知られておらず。そして、未だに搬送が遅れると非常に亡くなる危険の高い病気です。

要は脳の血管が切れるわけなので、生存率は低く、生き残ったとしても脳にダメージがあるため後遺症が出ることも。

そんな病気を乗り越えた祖母。そして、リハビリも頑張り、下の子の入院で私が1人になる時、わざわざ南から北へ飛行機に乗って私の面倒を見にきてくれたのでした。くも膜下の後なのに。

そんな祖母でしたが、手の震えが後遺症として残り、人前でご飯を食べるということを恥じる様になりました。出かける時は祖父が車を出していたもので、自分で公共交通機関を使ってまで外出する人ではありませんでした。

プライドが高く、完璧主義でもありました。自分にも他人にも厳しい人でしたが、9年前祖父が癌で倒れ、亡くなったことをきっかけに娘の母が実家に行き、介護が始まりした。

正確にいつからかはわからないのですが、祖母は認知症が始まっており、祖父の見舞いに来ても、「私は習い事に行きます」と言い、母に車を出す様に言う。愛していた祖父のことをもうわからなくなっていました。葬式でも、祖父が亡くなった事を理解できず、ここ7年は祖父は生きてると言っていました。でも、最後の2年は完全にその存在も消えてしまいました。

ただ祖母はくも膜下のことも含め、体がとにかく健康で、脳の機能は衰えて、子どもの様に癇癪を起こしたり、問題を起こす。一方で大人の体力があるという状況で。祖母と母は大喧嘩。今年になって母がもう私では看きれないと施設に入れるまで、暴言暴力がどんどん酷くなり、夜は早期覚醒をするので朝だと言い張り、睡眠を母は殆ど取れない状況だった様です。

介護が始まった頃、私は大学生、下の子は未成年でした。なので、私の家族を巻き込んだ大事件が9年間も続いたのでした。

正直、祖母は家に最後までいることにこだわり、私は1人で暮らせると叫び、母に出て行けと罵る姿を見ていられませんでした。自分のことがどんどんできなくなって、小さく見える祖母。言葉がわからなくなっていく祖母。祖父を忘れて、孫の私も忘れて、あんなに暴力と暴言ばかりの女性は誰だったんだろう。祖母なのだろうか、と。嫌いになる前に、嫌な思い出になる前に、祖母と母が離れたらいいのにな、と思ってきました。

さて、前置きが長くなりました。私、森が置かれていた状態はこんなでした。

体こそ健康で30代だと医者に褒められる祖母でしたが、今年に入ってからはずっと熱を出したり、下がったり、それから入院して、会えないと会うことが続いていました。ただ、それが続いたのは、普通であれば持ち堪えられないのに、祖母が体が強く何にしがみついているのかわからないのですが、回復して生きてしまうからでした。

森ビヨでは5年、主人公は眠り続けています。彼はその間にも演劇部で全国大会を目指し、部員の中でぶつかりながらも青春する幸せな夢を見ていました。

一方、当時小学生だった幼なじみは自分が行かないでと引き留めたがためにバスの発車が遅れ、演劇部のバスが不幸にも事故に遭い…幼なじみ以外は全員死ぬという悲惨な現実に取り残されました。

私は幸せならば、死ぬこともありだと思っている方です。5年どころか9年間、病気と自分と母と闘う祖母を見ながら、この人は幸せなのかなぁと考え続けてきたからです。

危篤だ、と言われ、下顎呼吸が始まったので1日も持たないかもしれないと連絡が来て、私は正月以来の帰省を果たしました。

私は介護にかなりかかわりましたし、祖母にお世話を焼いてもらったのです。ただ、当時下の子ばかりに母がべったりで、寂しかった私は祖母に当たり散らしてました。どうして母は私のそばに居てくれないのか。1週間会えないなんてざらにありました。でも、下の子は大きな病気。私は我慢しなければなりませんでした。

ですが、低学年の子どもがくも膜下で倒れて数年も経ってない祖母がそれでも必死に私を守るために来てくれてることは分かりませんでした。だから、祖母がいってしまう前に私は謝罪とお礼を言いたかったんです。

ただ、1日も持たないと言われた祖母はそこから5日間生きました。

肩で息をする様な叫ぶ様な呼吸を繰り返す姿は衝撃で、意識もなく、管に繋がれている祖母を見て、とても複雑でした。涙が溢れないわけなく。

延命措置はとってないとはいえ、見ていると非常に苦しそうで。実際はエンドルフィンという物質が出ているので、幸せな状態だったそうです。

しかし、口に当てている酸素マスクを払い除けたらどうなるだろう。体力に任せて生きながらえることが果たして幸せなのか。もう静かに眠ったらいいのに、と。

遂には母は3日目の朝、このまま、また回復するのではと言い出しました。でも、わかる様な気もします。意識がなくても、もうダメだと言われても持ち直し、回復してきた過去を考えれば今回のことだってそのひとつかもしれない。

多分、幼なじみが手を取ってと呼びかけ続けられたのは主人公が穏やかに眠っていたし、それが数日どころか5年も続いてしまったからなのではないでしょうか。

あっけなく逝ってしまえば、それはそれで後悔もあったかもしれませんが、5年もあれば忘れたり、何かに没頭して向き合わなくて済んだのかもしれません。もっと早く前に進めていたかもしれない。

けれど、5年眠り続け、目覚めてしまった彼に幼なじみの彼女はきっと、これからも苦しむと思うのです。大好きだった兄の様な彼が果たせなかった全国大会に出場するということを自分がやらなければ、と。高校生になり、同じ学校、演劇部に入ってしまった時点で、彼女の呪いの様な苦しみはそうして解くしか無くなったのだと思います。

一方、眠り続けていた彼が5年という時に置いていかれ、自分が果たせなかった、もう二度とやり直せない輝かしい過去を彼女が頑張るのを見て、何を思うのでしょうか。

公演を直視できるのか?思う様に動かない、機能の落ちた体に苦しむのではないか。でも、生きてしまった以上、死んでしまった演劇部の皆の分も生きようと思うでしょう。生きながらに心は死に続け、しかし、生きるのを選ぶ他ない。惨いなぁと思うのです。

今日の夜こそダメだろうという夜を5回繰り返し、祖母は亡くなりました。母曰く、急に脈が止まり、「お母さん!しっかりして!!わかる!?」という呼びかけに対して、目を開けて三言分口を動かし、穏やかに眠る様に逝ったそうです。

それは母の名前か、「わかる」という返答だったんじゃないか、と私は母に伝えました。本当のところわかりません。

ただ、生きている者はこれからも死ぬまで生きなければならないし、過去に居続けることは出来ません。未来に進むためにも、ある意味で妥協というのも変かもしれませんが、受け止めて歩み始めるしかないと思うのです。

最後に森ビヨがハッピーエンドか、否かの問いに対する答えを出しておきましょう。

私にとって夢を見てそのまま眠れたならばハッピーエンド。ですが、起きてしまって未来に進まなければならない状況になりました。

ですが、バッドエンドとも言えないし、メリーバッドエンドとも言えません。きっと主人公とその幼なじみの彼女が未来に進んだ結果起きたこと、そして、それが自分が自分であることを理解している、意識が途切れる瞬間に幸か不幸か、それぞれが振り返り終わるのではないか、と思います。要はまだ、終わってないのだと思います。物語は未完なのではないでしょうか。

先月までは緊急事態宣言が首都圏では発令しており、コロナの罹患者が中々減らない中、どうなるのだろうという状況でした。

今はどういうわけか、罹患者も減り、都道府県の中では感染者0のところも出始めたようです。とはいえ、マスクを捨てて自由に歩けるわけではないし、飲食店や外出の際に色々な制限はあるわけです。

何が言いたいかというと、私やこれを読んでいる貴方はコロナがなかった頃の生活、そして真っ新な思考にはもう戻れないわけです。

5年ではないけれど、私たちは2年ほど、日々状況が変化し、しかし先が見えない中で生きてきました。

たくさんの方が亡くなり、後遺症で苦しんでいる方もいると言います。

また、私も仕事で色々あり、うつ病と闘っているわけですが、この社会の不安に端を発し、社員が大混乱を起こす中で仕事がどんどん増えていったというのも原因の一つです。おそらく私の様に、あるいはそれ以上に心が参ってしまった人もいらっしゃるかもしれません。

誰もが傷つき、あるいは不安を持ったまま、明日を生きなければなりません。次は第6波?また、感染病に牙を剥かれるのかもしれません。こればかりは台本も何もないのでわかりません。

ただ、確かなことは。そういう大変な中でこの森ビヨという舞台が行われ、無事終わったという事実です。

交通事故と捉えると、そんな長く眠るなんて現実的ではない、と思う方もいるかもしれない。けれど、これをコロナに置き換えたならどうでしょう。私たちは静かに家で耐えていました…眠っていた方も、毎日通いながら不安を拭えなかった方も。どちらの気持ちも何か近いものがあるのではないでしょうか。

その上でやはり、それでも彼女たちが表現する事をやめない、発信し続けている今日までの活動に非常に意味があり、ファンもその伝え続けてくれるBEYOOOOONDSに応援という形で返せたら。それはきっといつか振り返った時に幸せだったとなるのではないか、と思います。

死ぬことが幸せかもしれないという価値観が私の中で生まれた理由は2つです。1つは前述の通り長い期間ずっと、認知症が酷くなりどんどん自分が何者かわからなくなる祖母を近くも遠くもない位置で見ていたから。そして、もう一つの理由は『アンデルセン童話』が愛読書だからです。

アンデルセンと言えば、何を思い浮かべるでしょうか。『人魚姫』がやはり1番多くの方が知ってるでしょうか。あとは『マッチ売りの少女』あたりも有名でしょうか。

アンデルセンという作家は創作童話で有名になる前は非常に貧しい靴屋の息子であり、都会に出て頑張ろうと奮起するものの、何度も挫折を味わってきた人です。そして、あまり容姿が良くなかったり、少し変わった性格もあり、恋は叶うことはなく生涯独身でした。亡くなった時、初恋の人は宛てた渡せなかったラブレターを握りしめてだった、とされています。

あまりに貧困で、過酷な世界を見てきたがためにアンデルセンは独特な価値観を物語として紡ぎました。それが「死こそ幸福なのではないか」というものです。

人魚姫は王子を短剣で刺せば、人間から人魚に戻れるという状況で王子を殺さず、自ら泡になり死にました。しかし、その魂は天に昇ったというのです。

マッチ売りの少女はマッチを擦る度に幸せな夢を見て、翌日には凍死しています。しかし、死ぬまでに彼女は孤独ではなかったのです。

私は子どもの時から、アンデルセンの絵本が大好きで、ページをめくりながら、これは悲しいのか、幸せなのか、考えてきました。今、大人になってあの話もアンデルセンの創作か、と気付くことがあるのですが、そうして読み返すと非常に複雑な感情が物語に組み込まれいると気付き、読む事をやめられないのです。

それに前に触れましたが、私が好きなゲームFGOで彼は少年の姿でありながら、声は非常に落ち着いた大人というギャップのある存在です。しかし、彼は自分のことは諦めて、世の中や人を嫌いながらも、最後は頑張ろうと足掻く人を見捨てられないキャラであります。そんな彼が使う宝具、いわゆる必殺技のようなものですが、『貴方のための物語』を書き下ろし、体力回復や攻撃力、防御力を高めてくれます。もっと語れば長くなるのですが、彼は別のゲームが最初の登場でたった1人のどうしようもない人がそれでも生きようと足掻くため、手を差し伸べた人なのです。

さて、現実のアンデルセンは70歳で亡くなります。たくさんの挫折、つまり失敗、決していつも幸せではなかったかもしれない。けれど、それでも童話を書き、生きたからこそ彼は今日まで「童話の王様」とすら称えられる愛される作家として死んでいけたのです。

生きるって非常に複雑ですね。

生まれた時点で死ぬことは確定してるのに、その長さ、そこで起きることは誰にもわからない理不尽なものです。

けれど、森ビヨやたくさんの作品、あるいは人との交流、時に非常に苦しい想いをしながらも、それでもやはり私は今死にたいとは思わないのです。

やりたいことはたくさんある。そして、いつか人生を振り返る時に私は幸せだったと笑って、それこそ眠る様に…

答えは自分しか決められないのだと思いながら、今、筆を置こうと思います。

時間がかかってしまいましたが、読んでくれた方、ありがとう。

そして、後悔しない様にBEYOOOOONDSをはじめ、(借金はなるべくしないほうがいいけど!)好きなものは全力で応援してあげてください。今しかきっと出来ないことです。


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