「人権」か「市民権」か?「身長が170cmない男性は人権なし」発言から考える。

 今回は、プロゲーマー・たぬかなさんの「身長が170cmない男性は人権なし」という趣旨の発言から、「人権」と「市民権」という言葉について考える。

 ネットニュース「ANN」によれば、たぬかなさんは2022年2月15日に行った自身のライブ配信で、次のような発言をしたとされる。

「(身長が)170ないと、正直、人権ないんで。170センチない方は『俺って人権ないんだ』って思いながら、生きていって下さい」

出典:ネットニュース「ANN」

 この発言に道徳的な問題があることは当然だが、なぜたぬかなさんがこの発言をしてしまったのかについて、「人権」と「市民権」という言葉の観点から考える。

 まず、「人権」について。『広辞苑』で「人権」と引くと、次のような記述が見つかる。

じん‐けん【人権】
(human rights)人間が人間として生まれながらに持っている権利。実定法上の権利のように恣意的に剥奪または制限されない。基本的人権。

出典:『広辞苑(第六版)』

 当然のことながら、たぬかなさんの「身長が170cmない男性は人権なし」という趣旨の発言における「人権」は、「基本的人権」(平等権、自由権、社会権、参政権など)を意味する辞書的な「人権」と異なる。

 おそらく、たぬかなさんの発言における「人権」とは、「他者から恋愛対象として扱われること」といったことを意味する「人権」であると思われる。これは、その発言が、男性の身長に対する女性の好みを述べようとしたものであることから推測できる。

 ではなぜ、たぬかなさんは「他者から恋愛対象として扱われること」といった意味で「人権」という言葉を使ったのか。それは、そのような意味に最も近い言葉として「市民権」があったためと思われる。

 『広辞苑』で「市民権」と引くと、次のような記述が見つかる。

しみん‐けん【市民権】
①市民としての権利。人権・民権・公権とも同義に用いる。
②市民としての行動・思想・財産の自由が保障され、居住する地域・国家の政治に参加することのできる権利。

出典:『広辞苑(第六版)』(一部省略)

 ここから、「市民権」の①は、「基本的人権」を意味する「人権」と同じ意味で用いられることがわかる。

 続いて『明鏡国語辞典』で「市民権」と引くと、次のような記述が見つかる。

しみん‐けん【市民権】
〘名〙
❶市民として思想・行動・財産の自由が保障され、国家の政治に参加することのできる権利。
❷ 特殊だったものが広く世間に認められて一般化すること。
「この言葉は―を得ている」

出典:『明鏡国語辞典(第二版)』

 ❶は、『広辞苑』での「市民権」の②と同じ意味である。一方、❷は『広辞苑』には記述のない意味であり、人間以外についても言えることから「比喩(例え)」の一つであると言える。

 たぬかなさんが「人権」という言葉で表した「他者から恋愛対象として扱われること」という意味に近いのは上の❷の意味であると思われる。

 なぜなら、「他者から恋愛対象として扱われること」と❷の「広く世間に認められて一般化すること」は、「世間や他者から無視されたり蔑まれたりせず、時には好意を向けられる」という点で共通するからである。

 また、たぬかなさんが「身長が170cmない男性」を「特殊」であると考えていた可能性も十分あり得る。

 しかし、様々な辞書で「人権」と引いてみても、『明鏡国語辞典』での「市民権」の❷のような意味は記述されていない。おそらく、たぬかなさんは、「市民権」が「人権」と同じ意味で用いられる場合もあることから、「人権」にも「特殊だったものが広く世間に認められて一般化すること」という意味があると誤解して使ったと思われる。

 ここまでをまとめると、次のようになる。

  • たぬかなさんの発言における「人権」は、辞書的な意味における「(基本的)人権」と異なる。

  • 「市民権」は「(基本的)人権」と同じ意味で用いられる場合もある。

  • たぬかなさんは、「特殊だったものが広く世間に認められて一般化すること」という意味を表す「市民権」のように「人権」を使ったと思われるが、「人権」にそのような意味はない。

♦ ♦ ♦

 では、たぬかなさんが「人権」ではなく「市民権」という言葉を使って「身長が170cmない男性は市民権なし」という趣旨の発言をしていた場合、どのような問題があるか。あくまでも、言葉の観点から考える。

 問題として挙げられるのは、「特殊だったものが広く世間に認められて一般化すること」という意味を表す「市民権」において、「市民権を失う」や「市民権がない」という表現が不自然に感じられることである。

 例えば、「市民権を得る」や「市民権がある」という表現は、書籍や新聞などでもしばしば見られる。以下は、筆者の作例である。

  • 日本では近年、アニメやゲーム、漫画などが多くの人に好まれるようになり、いわゆる「オタク」と呼ばれた人々が市民権を得ている。

  • 現代の日本語において、「見れる」や「食べれる」などのいわゆる「ら抜き言葉」は特に口語において一般的となり、一定の市民権があると言える。

 一方、「市民権を失う」や「市民権がない」という表現は、対象を問わずほとんど見られない。以下は、ある書籍の書評で見られた用例である。

「アーカイバル的な実証研究のみが会計研究であるかのような風潮が強い今日において、ノーマティブな研究は市民権を失いつつあると言わざるを得ない。」

出典:「書評 孫美灵『会計の国際化と制度設計』」

 このような表現は実際はほとんどなく、「市民権を失う」や「市民権がない」という表現は一般的ではないと言える。

 つまり、たぬかなさんが「身長が170cmない男性は市民権なし」という趣旨の発言をしていた場合も、そのような意味での「市民権がない」という表現は不自然に感じられるという問題がある。

 仮に「市民権を失う」や「市民権がない」という表現があったとしても、それは以下のような、「人権」や「市民としての自由や政治参加の権利」という意味の「市民権」であると思われる。

【市民権】
◆そう、米国の市民権を失って、いまでは日本人以外の何者でもない〔堀田善衛・広場の孤独〕

 出典:『学研国語大辞典(第二版)』

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 今回は、プロゲーマー・たぬかなさんの「身長が170cmない男性は人権なし」という趣旨の発言から、「人権」と「市民権」という言葉について考えた。

 結論として、なぜたぬかなさんが問題の発言をしてしまったのかについては、「特殊だったものが広く世間に認められて一般化すること」という「市民権」の意味が「人権」にもあると誤解して「人権」という言葉を使ったためと思われる。

 また、「身長が170cmない男性」は「他者から恋愛対象として扱われること」が「ない」という趣旨の発言で、「人権」や「市民権」という言葉を使うことは一般的ではなく、言葉の観点からも不適切であると思われる。

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参考文献・参考資料(2022年3月1日最終確認)
「『170cmない男は人権なし』人気プロゲーマー暴言で契約解除」ANN
https://news.yahoo.co.jp/articles/8b0eb742ccd9ca5b3e5118aa93eb0912ce109de1

「書評 孫美灵『会計の国際化と制度設計』」水野一郎
http://www2.umds.ac.jp/sem/SemMSun/img/file10.pdf

辞書(2022年3月1日最終確認)
『広辞苑(第六版)』(2008)岩波書店
『明鏡国語辞典(第二版)』(2011)大修館書店
『学研国語大辞典(第二版)』(1988)学習研究社

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