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旦那の立会い出産(双子)レポート

先日、双子が産まれました。おかげさまでボクはお父さんになりました。

ここに至るまでの経緯と出産の様子は、ボクの想像を超えていました。忘れられない深く心に焼き付いた出来事でしたので、記録としてペンを取りました。というかnote書きましたですね。

ボクは東京在住でアラフォーのおっさんです。昔、留学してた時に今の嫁さんに出会いその後遠距離恋愛を経て国際結婚。結婚してもう11年が過ぎました。

先日の出産は海外出産、高齢出産(嫁さん37歳)、二卵性双子、子宮筋腫、妊娠性糖尿病での37w3dでの経膣分娩でした。こんな夫婦のこんなケースもあるんだぁ と思いながら良かったら読んでみて下さい。

ここに至るまでの経緯

3年前に嫁さんは妊娠しましたが、通常妊娠ではなく胞状奇胎という病的妊娠でした。子供ができたという喜びから一転、手術が必要で胞状奇胎がガン化して肺に転移する可能性もあると医者に言われた時の絶望感は今でも覚えています。

嫁さんは摘出手術をしました。転移や再発する可能性もあるとのことで、もしそうなった場合は抗がん剤治療だと。

妊娠が原因でこんな病気があるのか。。。なんでだよ。。。

正直そう思いました。

幸いにも手術で全部取り切れたようで、手術後の半年間検査に通い再発はありませんでした。

しかし妊娠前からあった子宮筋腫が妊娠後胞状奇胎のホルモン値向上により大きくなってしまいました。

嫁さんにしてみれば、妊娠したが喜びも束の間、胞状奇胎で手術、子供はなくなるはガンになるかもしれない不安と、そして子宮筋腫の肥大だけが残る心身共に最悪ともいえる状態でした。

元気だった嫁さんの体質がこの一件以降変化してしまい、生理不順や基礎体温がバラバラ、不正出血などがありました。心配で病院に行っても再発の心配は無いと、しかし子宮筋腫が大きいから手術するかという話が出ました。

今後妊活をするなら筋腫は取った方が良いとのことでしたが、半年前にした手術の影響で体調不良の嫁さんの身体を第一に考えて、しばらく様子を見ることにしました。

ボクは鍼灸マッサージの仕事をしているので、嫁さんの体質改善の為に、時間を見つけては嫁さんに施術をしました。補腎、補気補血など婦人科疾患の体質改善の鍼灸治療と疲れを取るマッサージを嫁さんにしていくうちに、生理や基礎体温の周期が安定していきました。

体質が元に戻り、それと共に前向きになった嫁さん。もう妊活の事はお互いに話さずに普通の生活を送っていました。そして1年位たった頃、突然自然妊娠しました。

妊娠してから出産前まで

前回が異常妊娠でしたので、正常妊娠とわかるまで(胎盤確認・心音確認)はドキドキしていました。

妊娠6週目の検査で無事に胎盤と心音が確認できて正常妊娠ということを知り「良かった〜」と夫婦で喜ぶと、病院の先生が超音波画像を見て「ん?二つある、、双子ちゃんだね」と

ううぉぉぉー、 双子ちゃんか〜(^ ^)   喜びも倍になりました。

その後安定期に入りましたが、通っていた総合病院では双子出産はできないとのことで、早く双子出産可能な病院を見つけて下さいと言われる。

双子出産は限られた病院でしかできないことを知りました。

そうこうしているうちにある日、嫁さんひどい腹痛になり、病院に行くと子宮筋腫が炎症を起こしたようでそのまま即入院。点滴と絶対安静で二週間入院しました。

当初は日本で産む予定でしたが、転院しなくてはいけないし双子出産のリスクもあることなので色嫁さんと話し合って、色々とサポートがある嫁さんの実家、本国に里帰り出産をすることに決めました。飛行機乗れるうちにと急いで嫁さんは里帰りして、ボクは日本で一人暮らしが始まりました。

ボクが年末年始に嫁さんに会いに行くと、嫁さんは妊娠性糖尿病になり食事制限や軽運動しても血糖値が下がらなかったので病院に管理入院することになっていました。

食事管理とインスリン注射する血糖値管理の入院はなかなか血糖が目標値まで下がらず9日間も入院しました。

病院のベッドの横には付き添い者用の簡易ベッドがある

ボクは簡易ベッドで寝ながら年始はずっと泊まり込みました。

大きなお腹で退院後も食事管理と一日に何回も血糖値を計り、インスリン注射を打つ嫁さんを見ると「あー、できることなら変わってあげたい...」と心に思いました。

そしてボクが帰国後、だいたいの出産予定日が決まりその日に合わせてまたボクは嫁さんのもとへ行きます。

さあいよいよ出産です。

立ち会い出産の現場

双子出産は日本では、リスクや訴訟問題などがありだいたい帝王切開するようです。

こちらでは経膣分娩(自然分娩)で出産すると主治医が説明して下さいました。

その理由として

•子宮筋腫は10cm程の大きさがあり場所的に帝王切開をすると大量出血する可能性があると

•一卵性よりリスクの低い二卵性双子で二人とも頭が下を向いている

•経膣分娩の方が、産後母親の回復が早い

ボク達夫婦は、なによりもその主治医が信頼できる先生だったので信じて先生にお任せすることにしました。

双子、妊娠性糖尿病などの為、妊娠37週目で産むのが母子共によいとのことです。

陣痛誘導剤を使う出産予定日が決まり、その前の日から入院しました。

入院二日目・出産予定日、朝8時から誘導剤を点滴。口が乾かないように看護婦さんが氷をくれて口に含む

お腹が痛くなるも夕方まで陣痛つかず。子宮口2cm。主治医先生が明日にすると判断された。

翌日も朝から誘導剤を点滴。お腹は痛くなるも本陣痛つかず。

夕方に疲れてる嫁さんの状態を主治医先生が見て、今日中にしようと判断され17時に鉗子(カンシ)みたいなものを入れて人口破水をする。

しばらくして陣痛始まる。子宮口6cm

二時間くらい陣痛に耐える嫁さん、子宮口がまだ全開になっておらずそのまま痛みに耐える。

するとお医者さん達が嫁さんに『りきみ』の練習をしながら子宮開口部を指で広げる。いち、にい、さん、グーーンと掛け声とリズムをとり踏ん張ってりきむ。旦那の仕事はベッドに寝てる嫁の頭の上に立ち、この掛け声のグーーンと言う時に踏ん張りやすいように嫁の頭を両手で持ち上げ首を丸く曲げる補助をすることとお医者に指示される。

この子宮口を広げるりきみを10回以上行う。子宮口8cm

20時に子宮口10cm全開、すぐ隣の分娩室にベッドごと移動

ボクは消毒後にスタッフに指示されてオペするような青色の使い捨て白衣とマスク、ゴム手袋とメッシュ帽子を装着し手術室・分娩室に入る。

ウイーンと自動ドアが開くと中ではもう嫁さんは分娩台の上で総勢10名くらいの先生方がスタンバッていた。

ボクは嫁さんの頭の上に立ち、声かけやりきむ時の頭を持ち上げる補助をする。いち、にい、さん、グーーン!、もう一回 いち にい…

取り出す主治医の大先生の指示のもとで他の先生方スタッフの息が合っていてとても良いチームでした。

ボクは嫁さんに「大丈夫だよ!頑張れー!もう少しだよー!」など声かけをして、りきみに合わせて嫁さんの頭を持ち首を丸める。

嫁さんの両手は分娩台の手すりを強く握りしめている。りきむ度にその手が小刻みに震え、声を漏らしながら苦しい顔をする。男はこんなとき側にいることしかできない、女性の大変さを肌で感じました。

17分後、赤ちゃんが産まれた。血と黄色いものと白いどろどろした何かにまみれていた。取り上げた大先生が赤ちゃんを他の先生に渡して台の上に寝かせた。先生が布で素早くどろどろしたものを拭き取る時に赤ちゃんが泣き出した。

嫁さんに「泣いた、元気な赤ちゃんだよ」と声かけすると、表情が一瞬笑顔になった。

赤ちゃんを拭いている先生に手招きされボクは近くに寄って行くと、赤ちゃんのへその緒にクリップをしてハサミを渡される。

この辺を切れという指示のもとボクがへその緒を切る。へその緒は白い半透明で丸い管ではなく線のような感じ、ハサミを入れると最初はイカのような切り感でしたが中心部に電線用の少し硬い部分があたる。それを一気に切ると、中心部の線状の部分から血が吹き出て一瞬で垂れ落ちる。

う、うおぉぉー  生命の神秘を感じました。

ここからが双子出産のリアル現場!

双子出産のリスクは先に産まれる子よりも後から産まれてくる子供の方が桁違いに高い。

すぐに産まれれば問題ないが、母体が疲れきってりきめず時間がかかってしまうことがある。時間がかかればかかるほどリスクも高くなるそうである。

また、一人産まれると母体のお腹にスペースが生じてしまうので赤ちゃんが動いて逆子になる場合もあるという。こうなると途中から帝王切開に切り替え手術が行われる。

すぐに二人目の出産が始まる。しかし先生方が嫁さんのお腹を強く押しながらりきみを繰り返しててもなかなか出てこない。15分位した頃に大先生が立ち上がり何かが入ったパックを持ってきた。

滅菌パックを開けるとホースの先に円状の吸引機がついた道具だった。赤ちゃんの頭にそれを付けて引っ張り出す吸引分娩である。

超音波で赤ちゃんの位置と頭の位置を確認しながらの作業が始まる。何回もまたりきむことを繰り返す。嫁はもうりきむ力が無くなり痛みの中で疲れきっている。初めの子が産まれてから30分位たった頃山場を迎える。

頑張れ、もう少しだ、いち、にい、さん、グーーン。

嫁のお腹を押していた女の先生に代わり、大きな体格の男の先生が嫁のお腹を全体重をかけて押す。

こんなに押して大丈夫なのか⁉︎

さらに別の男の先生が下方向に方向づけして押す・取り上げる大先生の吸引分娩、足や腰を持ちサポートする女の先生達、最後の力を振り絞る嫁、「頑張れー!たのむー」としか言えないボク

全ての人の共同作業により、次の瞬間赤ちゃんが産まれた。

取り上げた大先生はすぐにへその緒を切り、何かを言うとすぐ赤ちゃんを台の上に置いた。すると布で体を拭くとかいうまえに、今まで分娩室にいなかった先生が二人走って赤ちゃんのところに来た。赤ちゃんは泣いていない。

走って来た先生達が何か言っている!言葉がわからなかったが、緊急事態だとすぐわかった。緊張感がMAXという空気が一瞬にして分娩室に広がる。指示を受けたスタッフが機械を持ってきて、先生達が赤ちゃんの鼻にチューブを入れたりしている。先生達の表情や言葉の言い方から、これはヤバイんじゃないかとボクは震えた。

嫁もすごい声で「 何⁉︎どうなってんの」  と取り乱す寸前

そんな嫁に別の先生がこれから下処理しますと言って、お腹をグリグリ押して膣口からかき出しが始まった。まるで魚の内臓を取るようにお腹の中の残留物をかき出していた。

口の空いたビニール袋に取り出した魚のハラワタのような残留物を投げ入れている。ものすごい血が出ている。その中に茶色い梅干しを平べったくしたシワシワの丸いものが見えた。

胎盤である。それにしても嫁の下半身は血だらけで怖いくらいでした。

ボクは寝てる嫁の頭の上に立ってこの光景を見ている。真正面に取り乱す嫁、その嫁はかき出されていて血だらけ…

右方向を見れば、緊急事態の赤ちゃん…

ボクの立っている足が、ガクガク震えてきた。放心状態になり考えることも立っている感覚もない。ただボクの目だけがそこにあり見ているだけで、身体はフワフワと上空へ上っていってしまうような感覚でした。

気ずくとボクは両手を合わせていました。「お願いします…どうか助けてください…どうか…」今目の前の赤ちゃんの無事を祈るしかなかったのです。

するとキャスターに乗った透明な赤ちゃんを運ぶケースが来ました。それに赤ちゃんを入れ移動するようです。別病棟にあるnicu(新生児集中治療室)に運びこむのにボクは嫁を残してついて行きました。

祈り、祈るしかできない…

夜の9時頃、後から出てきた赤ちゃんはnicuに運ばれました。赤ちゃんを乗せたキャスターを3人の先生達が小走りしながら押します。そこについて行く顔面蒼白のボク。

待合場所には嫁の叔母さんが来てくれていて、その緊急事態を見てビックリして どうしたんだ と聞いている。叔母さんも一緒に小走りで別病棟へ続く渡り廊下を行く。

nicuの前に着くも自動ドアの中までは入れないから、ここで待ってくださいと先生に言われる。

赤ちゃんと先生達は中へ

嫁の叔母さんとボクは無事を祈りながら待つしかできなかったのです。

ボクはテンパってしまい、生きた心地がしない、ホントそんな状態でした。不安、恐れ、不明瞭、どうなってしまうのか、などが頭の中に浮かんでは消え、手に変な汗をかき、喉は乾ききって生つばをゴクンと何度も飲み込み、嫁の叔母さんが何かボクに聞いてくる声すら うわの空

ただ手を合わせ「どうか無事でありますように」と祈っているだけでした。



一時間ほどして

nicuの自動ドアが開いた。

叔母さんとボクは出てきた先生に飛び付くように近づきどうなってんのか聞く

大丈夫とのこと

叔母さんが矢継ぎ早に色々聞いている。

先生はnicuの中に入れてくれた。

赤ちゃんには酸素マスクと心臓、手足にコードがつけられていて機械に繋がっていた。

危なかったが大丈夫とのこと。検査をしてからまた状態を教えてくれるとのことで一旦 ほっとしました。

叔母さんとボクは分娩室のある病棟へ戻りましたが、嫁はまだ出てこれない様子です。先に抱っこされて出てきたのは最初に産まれた赤ちゃんでした。

2/27日(水)20:18分に2650gの女の子、20:51分に2700gの男の子の双子ちゃんが産まれました。

分娩室がある病棟から夜12時頃に嫁さんはベッドに寝ながら出てこれました。嫁さんが無事でボクはほっとしました。

後から産まれた男の子は大丈夫だよと伝えましたが、大丈夫ってホントの大丈夫なの?と聞いてくる嫁さん。おつかれさま、本当にお疲れ様、ありがとう、心配しないで今日はゆっくりと休もうとボクは嫁さんに言った。

入院病室に行き、出血するのでベッドの上に吸収パッドを引いて入院ベッドに嫁さんを移乗します。

布団の上に膣口部を温めるライトのような装置を置き、その上に掛け布団をかけて安静に寝ます。

ベッドに敷いた吸収パッドがすぐに赤く染まるのを見て、まだけっこう出血している…出産とはこんなにものすごいものなのか…

女の人はすごいなぁとしみじみとしました。

それにしてもその時は、嫁さんと女の子が無事で良かったが男の子のことで完全には喜べない自分がいました。

案ずるより産むが易しとは言うけれど

翌朝になったが、昨夜は興奮と不安で良く眠れなかった。

案ずるより産むが易しとは言うけれど、産んでも本当に五体満足で正常に無事に産まれたとわかるまでは、不安でしかない。

nicuに運ばれた男の子の我が子は本当に大丈夫なのだろうか、という不安がまだあった。

後遺症がないか、頭は大丈夫か、など考えると不安に襲われる。

nicu(新生児集中治療室)は一日二回の決められた面会時間にしか中に入れない。まだフラフラと元気の戻らない嫁さんを車椅子に乗せて、面会時間に合わせてnicuに行く。

面会に行くと、赤ちゃんは昨夜の酸素マスクがとれていてスヤスヤと寝ている。後遺症などの心配もないとのことで安心する。

赤ちゃんは出産時に頭は下を向いていたが顔が反転して天井を向いて出てきたそうである。これは危ないのだそうだ。羊水を飲んでしまい肺に溜まることや産まれても呼吸できないことがあるのだと。産まれるまで時間がかかることの危なさや産まれた直後の素早い対応の重要さを知る。

抱っこしても大丈夫とのことで嫁さんが赤ちゃんを抱っこした。

赤ちゃんを抱っこした嫁さんが急にポロポロと垂れるほど涙を流した…。

「ごめんねぇ…私がもっと踏ん張れたなら、もっとりきめたなら、もっと早く出てこれて危ない目に合わなかったのに…ねぇ」

嫁さんのポロポロと泣く涙を見て、ボクも一気に涙が出てきて、声を上げて夫婦二人で泣きました。「でも良かったー」と言って夫婦で流した涙はすごい出てきましたよ。

今これ書く時も思い出すと涙が出ます。


出産から3日後に最初に産まれた女の子と一緒にボク達は退院しました。出産入院6泊7日、今回もずっと病院に泊まり込みそれこそシャワーも浴びず髪の毛ボサボサで髭をはやしたボクを見て、嫁のお母さんがボクの頭を撫でてくれて手の平にお金をつかませ「サウナ風呂と床屋に行って疲れをとってきなさい(^.^)ありがとう」と

パパになって最初に入った風呂は格別気持ちよかったです。

そしてnicuに入っていた男の子は色々な検査をし、黄疸が出たりしましたが10日後にnicuを無事に退院できました。

みんな、母親がお腹を痛めて産んでくれた子供

街を歩いていると大勢の人とすれ違う。ふと思う…

その一人一人が、何十年か前にその人の母親がお腹を痛めて産んでくれたんですよねって

今回の立会い出産からの気付きです。家族でも友達でも知人でも他人でも、損得とか関係なしにもっと人に優しくしよう!と思いました。

だって、普通に健康に産まれてくることがこんなにもすごいことなんだって体感したから…

( ´ ▽ ` )

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

#出産 #双子 #旦那立会い出産



















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