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【楽しさの外側】カップヌードル、プラモとの邂逅

久々に劇物と出会った気分になった。

そいつはバンダイ「BEST HIT CHRONICLE 1/1 カップヌードル」。こいつだ。

マシーナリーとも子の動画やnippperのからぱたさんの記事でも取り上げられ、最大瞬間風速が吹き荒れる最高のプラモデルだ!と箱を開けた瞬間は感激しながらランナーを見ていた。

それから作り始めるとどうだろうか。

内なる自分との会話が今まで以上に繰り広げられてしまったのだ。楽しいとか楽しくないの次元にこいつは存在しなかった。その次元に存在していて欲しいという思いとは裏腹に感覚が逃げていってしまった。

確かにバンダイの金型精度やら設計による色分けは素晴らしいと思う。丸い筒を組んでシールをバーン!でいいところを懇切丁寧なディテールでキワッキワを攻めまくっている。流石に強度的に出来ないよってところはシールで補足されているが、それでも十分すぎるくらいの色分けだと思う。

ただ、組んでいけば組んでいくほど「あれ?」という感覚に陥った。

なんで自分はプラモを組むのかという所にまで思いが掘り下げられるとは思っても見なかった。

自分はプラモの組み味を楽しみつつ自分の手の届く範囲にそのモチーフを置いておきたいというのがプラモを作る理由だ。あと、説明書の指示通りに組むか組まないかという設計者とのバトルも自分は好きだ。

「自分の手の届く範囲にそのモチーフを置いておきたい」というのが主目的なのにモチーフはコンビニやスーパーで二百円以内で買えてしまうのだ。ここで感情が剥離する。つくる必要あるのかと。

確かにリアルな塗装を施してそれを眺めるたびにニヤニヤするのも良いが、リアル物は近場のお店に置いてある。

あまりにもリーズナブルに手軽に手にとれてしまう物を作ってもドラえもんに出てきたのび太の如く「つまらないや」になった。

予約した時は「イヤイヤイヤ、のび太はつまらないとか言ってたけど俺は違う。確実に楽しいって!」と予約したのだ。一緒だった。

だが、箱を開けた瞬間は最高に楽しい気分になっていたのは確かである。

それはなぜか。

日常に転がってるものが分解され、ランナーという枠に絶妙に配置されているという事実に楽しんでいたのだ。

プラモは箱に入った時点で完成しており、ユーザーの手で組み上げられて2度完成するとはよく言ったものである。

完全に主観の話だが、こいつはランナーに収まっている瞬間が最高にイケていた。からぱたさんが時々やっている、ランナーのついたままプラモを組むというやつが最高にブッ刺さるのがこのカップヌードルのプラモだと思う。

なんならランナー状態で額に飾っても良いくらい。

以上で、組んで後悔したというお話。もう一箱あるからランナーを眺めるもよし、額に収まるように美味いくつくるもよしなので寝プラモでも組みつつ考えてみようと思う。

プラモって奥が深い

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