還暦を過ぎてトップ講師の1人に
還暦を過ぎて個別指導塾の講師になった。
それまで10年程、オンラインの家庭教師をしていたので、生身の受験生に会いに出掛けたかったのだ。それも、出来るだけ多くの生徒を指導したかったからだ。
入社して2年で僕の可能な指導駒数は最大に達し、トップ講師の1人になった。
僕が指導する生徒が次々に難関校に合格したからだ。
僕が指導したのは高校受験と大学受験の英語。どちらも英語長文とリスニング指導がメインの指導だった。長文とリスニングを制すれば合格するという確信があったからだ。
そして、僕以外に英文速読とリスニング指導のどちらも出来る講師は他には
居なかったから空き待ちが出来るほどの人気講師になった。
還暦を過ぎて僕の生活は多忙を極めた。
月曜日から土曜日まで毎日、1日5コマ、12時から夜10時頃まで指導した。
休みは日曜日だけ。月に150コマ指導する時もあった。
生徒がみるみるできる様になって行くことにワクワクしたし、嬉しそうにしている生徒を見るのは幸せだった。
仕事はやり甲斐があったが無理が祟って、脳梗塞を患ったのが講師を始めて6ねんが経過したある夏の朝だった。
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