見出し画像

理想の相違

私と夫は、あまり話をしない。
多分他のご家庭の人から見たら異様なレベルで喋っていないかもしれない。
「話が弾めばいいのにな」とは思っているけど、いつの間にか月日がそれなりに経ってしまっていて、私からするともう完全に『喋るのに緊張して気をつかう人、苦手な相手』になってしまっている。

基本的にお互いに自発的おしゃべりなタイプというわけでなく、自分の得意分野でない話題を取り上げた時に会話を広げていける能力が高くはない。
共通の趣味的な部分はあるけど、それ以外の話題の時には会話のキャッチボールが本当に続かない。

少なくとも私としては、続けられなくなってしまう感覚から抜け出せなくて、もう一回投げてみようかな、と思いつつもつい見送ってしまっている現状がある。


夫の得意分野の話題において、相手が満足出来そうな立派な投球をする自信がないのである。



義両親はとても温かく知性のある方々で、控えめでおしゃべりなタイプではないが、豊富な教養でどんな話題のボールでも拾ってくれる、素敵なご夫婦。
思春期に父親が他界、母親も毒親気味という環境の私からしたら、本当に心から「恵まれた環境で育つことが出来て羨ましい!!その素晴らしさを貴様はわかっているのか!!」と夫に対して事あるごとに心で叫んでいるくらいには羨んでいる。

その素晴らしいご両親の息子がなぜこんななのか?と毎度疑問に思う程度には基本無愛想・ポーカーフェイス(に見える)、そして無口な夫。
普段自分の気持ちを自分から話そうとせず、たまーに何か内面に関連のある話をし始めたと思ったら大体ネガティブな部分についてで、どうしてわざわざこんなナイフのように鋭い言葉を選ぶのか?と感じるような語彙を持ってして不満の声を放ち、私を刺す。

刺されるのはやはり辛いので、刺されたくないから相手にとって余計なことは言えないな、っていう経験が蓄積された結果、私は中々ボールを返せなくなってしまった。

そして私から話題を振った場合には、8割9割キャッチボールは1・2往復で終わる。
ああ、興味がないんだろうな。と寂しく思う反面、私も逆の時にボールを上手く返せないんだから同じなのかもな、と思うことにはしているが、自分たちの子どもの話でもたまにそんな風にされると流石にモヤモヤする。


SNSで見かけたりする家族のほっこりエピソードの中での夫婦のやりとりが、うちではどうしてこんなにも困難なことになってしまっているのか探究するために、色んな本を借りたり買ったり、あとはこういう状況の時にこう言われて自分はどう思ったか、というのを文字に起こして思考を掘り下げて解像度を高めようとすることもしてきた。
せっかく夫婦となり子どももいて単純に仲良くしたいだけなのに、心が近くない状況をどうにかしたいと、色んな可能性を探った。

夫が、上記に書き切れていないエピソード含めこれまで出会った様々な人と一線を画している感覚が強かったので、パーソナリティ障害、あるいは愛着障害、はたまたASDなのではないかと考えたりした。
この中ではASDの要素が一番多い気がしていて「私はカサンドラだ!!」とカルチャーショックを受けてそう思っていた時期もあったが、正直あまり確信を持ててはいないので、今ではASDの気がある、くらいに認識している。

今一番しっくりきているのが、モラハラ体質なんだろうなという認識。ちょくちょく調べたりしている段階だけど。
これを含め、色々な要素が入り混じって複雑な「気難しい人」なんだと思っている。

数年掛けてようやく上記の「この人はこうかもしれない」のところまで辿り着いたので、それだけで若干自分の気持ちが落ち着いてきて、何かお互いの意見の相違があり無駄に鋭い言葉で刺されること(以下ナイフ案件と呼びます)があっても悲観するのみということはなくなり、冷静にさらなる分析ができるようになってきた。


今日も(私の中では)ちょっとしたナイフ案件が生じて思ったのが、タイトルの「理想の相違」であったので、この記事はその覚書。
お互いに「相手がこういう時にこういう反応してくれたらいいのに」という理想を持ってるけど、それが違うからキャッチボールが続かないんだろうなーという。
ある意味単純なんだけど、つい身近な人だからって大ごとに考えてしまう癖がついてしまっている。

「何度か涙ながらに訴えたのに鋭い言葉遣いを中々改めてくれない、これはもう愛情がないからだ」
「私の発言に同意できなかったらすぐ極端な言葉で否定してくる、こんなことするなんて嫌っているとしか思えない」

数年前はすぐこういう思考になって辛くなりすぎていたけど、もはや好きとか嫌いとかは割とどうでもいいと考えるようになってきた。
ただ、家族として出来るだけ仲良く出来る方がいい。



あまりにも夫婦で話さない故に、ナイフ案件自体が少なくて、逆にそれがないとこういう思考は動かないので(だって何もないのにこんなこと考えてたらしんどいだけだしw)、ナイフ案件時には出来るだけ思考を巡らせてこんな風にメモできたらな、と考えている所存。
これからももう少しシンプルに理解していって、自分たちでそれを納得できる生き方を見つけられたらいいな、と思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?