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グラデーション的に休みたい

気づけば、お盆がやってきそうで、時間が過ぎる早さに驚きを隠せない。
久しぶりに、読む・書くの欲がまったく湧き上がってこなくて、まあそういう時間もあるよね必要だよね、と自分につぶやいていました。
自分を労えるのは、自分しかいないからね。

このまま自分の思うがままに書いていくと、ただの日記になってしまいそうなので、最近をつらつらと書いてみようと思います。

最近は、日々の浮き沈みがだいぶ減ったように思いますが、それでもやっぱり浮いたり沈んだりの毎日を送っています。

誰とも会わない、何の予定もない休みの日になると、完全にスイッチが切れるようで、一昨日なんてトータル18時間くらい寝てたんじゃないかというくらい、眠たくもないのに気力が湧かずに寝ていました。おかげさまでいまでも体が重い。

平日はケロッとしているし、特段調子が悪いわけではないのだけれど、それでも休日になると体を起こすのがだるくて、このまま意識を保っておくのがつらくなってしまい、まぶたが勝手に降りてくる。

毎日が充実している感覚はあるし、わたしなりに毎日を丁寧に何かを得ようと向き合っているつもりです。そんなつもりじゃないけれど、気を張っているのかな。
気を張らないことの方が難しいので、まあこういう日があってもいいだろうな。でも完全にスイッチがオフになると、オンにするのが難しい。

以前、この話を友人にすると、「ライトに例えると、調光の調整がじわじわできるタイプってことですよね。グラデーションみたいになるやつ。わたしはオンオフしかないスイッチ派ですけど」と言われました。

まさにそうだ。オフがないといいんだけど、たまに電源ごと落とされると、電源入れるのがつらいじゃない。このつらさを味わうくらいなら、グラデーションでいい。
と思う派閥ですが、これをお読みのみなさんはどっちのライト派ですか?


実はnoteの下書きにはいくつか記事が溜まっています。
でも、書き終えると、「なんだか違うな〜」と何か基準があるわけでもないのに、納得感を得られず、下書きのまま放置されています。
ふと、何を伝えたいんだろう、とか、これを読んだらどう思うのか?どんな人に読んで欲しいのか?とか、そんなことを一丁前に考えてみたりします。
そうすると、今の下書きもなんだか違うな〜と思うのです。

そんなことを考えるのも、仕事でだんだんとクセづけられているのかもしれない。そう思うと成長ですね。
相手あっての仕事ですから。


でも、わたしの日常に、意味を見出すのはだれ?
そんなの、自分で見つけなさい。意味を求めるな、考えるな、感じろ。

あれ、結局日記になってしまったようです。

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