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第一原理電子状態計算の「実務者にとっての本筋」を知る一冊──近刊『動かして理解する 第一原理電子状態計算』まえがき公開

2020年9月中旬発行予定、『動かして理解する 第一原理電子状態計算』(前園涼、市場友宏 共著)の「まえがき」を、発行に先駆けて公開します。

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『動かして理解する 第一原理電子状態計算』まえがき

文:前園涼、市場友宏

電子状態計算は、技術としてよく「枯れて」きており、利便性のよいパッケージが整備され、すでに理論専攻者の手を離れて、産業界での開発・実務現場に広く普及を遂げました。マテリアルゲノムやマテリアルズインフォマティクスといったコンセプトに象徴される、「機械学習/人工知能技術と結びついた網羅的な新材料探索」もブームとなっており、産業界や実験系研究室の現場で導入への需要が急速に伸びています。これら現場の指導者層には、自身は計算科学の非専攻者ではあるけれども、メンバーの若手技術者や研究室新入生にその素養を身につけさせたいと考えている方が多くいます。筆者は共同研究活動のなかでこうした方々を研究室に短期滞在で受け入れており、試行錯誤しながら、技術移転のための教程を構築してきました。

筆者のもとに電子状態計算を学びにくる方からは、よく「自身でも書籍などに目を通し、勉強はしてみたけれど、スジがわかりづらく断念した。だから先生のところに、指導をお願いすることになった」といった声を聞きます。こうした声をまとめてみると、どうも「初学者対象」とされている解説書の多くは、「表面触媒特性を計算する/光学吸収を計算する/熱伝導率を計算する/...」という目的用途別での捉え方で構成され、それぞれの用途に呼応した「特定のソフトウェアパッケージの利用講習会的な内容」となっていて、「説明の一行一行はわかるけども、今ひとつ背景コンセプトのスジが見えない」という「スッキリしない感」を残してしまうようでした。

書籍だけでなく、初学者対象の講習会やワークショップの類でも、密度汎関数法/分子軌道法/分子動力学/GWやTDDFT...といった方法論が並立した構成となっていて、しかも悪いことに、ワークショップの年度が下るにつれて、あれもこれもと内容が増え、初学者には高度すぎ・盛り込みすぎな内容になっている印象を受けます。年々、理論方法論は進化を遂げ、「より現実的な現象解析」が可能となってきているため、教える側としては、「これらを盛り込んだほうが、受講者の需要に応えるだろう」という心理が働きますし、また、受講者側からも「こういう現象に取り組んでいる。それが扱える手法は〇〇理論だと聞いたので、それを教えてくれる機会に参加したい」という心理が働きます。こうした事情もあり、内容をたくさん盛り込んだ講習会は参加者人数としては盛況になるのですが、やはり、数時間で高度な方法論を初学者に教えられるかといえば、限界があります。こうした教程を書籍にしてしまえば、今度はさらに、平板で羅列的な手順書になってしまいます。そうなると読み進める意欲が失われ、途中で学修が失速してしまうことになります。一方、スジを見極められるよう、背景理論の習得に努めようと思い立てば、今度は電子状態計算の専門書を紐解くことになります。が、これらは「方法論開発に臨む理論研究者を対象とした専門書」として構成されており、「具体的ミッションをもった初学者が、いち早く実務者となるための視点」では書かれてはいません。

実は上記のモヤモヤについては、筆者自身が苦労した経験をもっているのです。筆者は「主に磁性を対象とした理論」の分野で博士の学位を修得ののち、海外で博士研究員として、電子状態計算分野でのキャリアを開始しました。第一原理電子状態計算というのは、物理/化学にまたがる電子論の知識のほか、計算機ハードウェア、ソフトウェアやプログラミング、Linuxシステム、電子状態計算の個別方法論にわたり、かなり大幅な集合知が要求される分野といえます。こうした「知の森林」のなかで、「何が大筋で、何が脇道」といった把握に失敗すると、すぐに迷子になってしまいます。この分野に新規に取り掛かろうという実務者にとって、「専門の研究室で5年間かけて、ゆっくりと咀嚼して大筋を整理する」という余裕はありません。大きな博物館を見て回るのと同じで、「どこが大筋かを説明しながら、まずは数時間で一緒に歩き切ってくれるガイド」が必要です。「ここは後から訪れればいい脇道だ」ということを明確に示してもらえることが肝要で、教程を追うなかで、「まあ、これは、おいおい理解すればいい」、「これはオレも、いきなりは理解できなかった」といった一言があれば、より効率的に習得が進んだものと思います。残念ながら、従前の書籍ではそのような緩急までガイドされているわけではなく、自身で苦労して大筋/脇道の区別を見出していくという経験をしました。

本書は、筆者のグループでつくってきた、産業技術者、もしくは、実験を主務とする研究者を対象とする「第一原理計算チュートリアル」の内容をもとに構成しています。上記の考えに基づき、「あれもこれも」と盛り込むことを可能な限り避け、まずは密度汎関数法(DFT)のパッケージをブラックボックスとして利用しながら「いち早く手を動かして成功体験を積む」(=まずは「尾根道に立つ」)ことを重視しています。「基礎理論から説き起こして実習に進む」通常の構成とは逆で、前半の章では、「何をするシミュレーションか」、「入力には何を与えて、何を出力として得るのか」といった事項のみに絞って解説し、背景理論の詳細は、後半の章で「あそこの計算は実はこういうことだった」という形で記述しています。

「『大人の修学旅行』のほうが、寺社仏閣にも興味がもてる」というのは、筆者がよく使う喩え話ですが、全体構造を俯瞰できない状態で個別の詳細を述べていくと、「出口や目標を見失って、勉学意欲が失われる」ということが往々にしてあります。一方、とはいえ個別の詳細も知らないのに全体構造の俯瞰を述べ立てても、「一体何をいってるのかよくわからない」という側面もあります。そのため、繰り返しによる冗長さはあっても、「ダンボールをカッターで筋を付けながら徐々に切る」ように、深度を少しずつ深めながら何度かにわたって基礎理論の説明を絡める構成をとっています。ある程度の基礎知識があり、あまり実習を必要としない読者であれば、第5章から読み進めてもよいでしょう。

類書との違い/特色として、もう一つ意識したのは、「第一原理計算自体を行うカーネル計算部分と、その外回りループで実現する多彩な物性計算との切り分けや階層構造をきちんと伝えること」です。第一原理計算を紹介する先行書籍が書かれた時代から下って、現代では「第一原理パッケージ中に、『第一原理ではない外回りや模型公式』までもを処理してくれる機能」が便利に整備されてきています。産業実務者や実験研究者への講習を通じて、この点が初学者を混乱させる一つの要因であると気づくに至りました。こうした混乱は、「イマイチよくわからん」という形で、学習意欲の維持に大きく影響してしまうものゆえ、まずは「登場する役者の階層的配置」を理解いただくことに留意した著述を行いました。そのうえで、「なぜカーネル部分だけに傾注して学ぶべきなのか」を明示し、安心/納得して当面の習得に取り組んでもらえるような記載を心がけました。

前園涼(まえぞの・りょう)
北陸先端科学技術大学院大学情報科学系教授、博士(工学)、MENSA会員。著書に『自作PCクラスタ超入門』(2017 年,森北出版)。
市場友宏(いちば・ともひろ)
米国オークリッジ国立研究所博士研究員。博士(情報科学)、MENSA会員。


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『動かして理解する 第一原理電子状態計算:DFTパッケージによるチュートリアル』 

著:前園涼、市場友宏

今日の材料科学に欠かせない第一原理電子状態計算。手法やパッケージも整備され、シミュレーションを専門とする研究者以外にも、手が伸ばせるツールになりつつあります。

本書では、実験系研究者を相手に「第一原理計算チュートリアル」を実施してきた著者が、可能な限り平易に、その概念と実務を解説。密度汎関数法(DFT)の無料パッケージQuantumEspressoを動かしながら、カギとなるスペック(パラメタ設定など)を体得していきます。WindowsとMac両方の環境構築から丁寧に解説し、マテリアルズインフォマティクスを見据えた研究体制構築の勘所も指南します。

【目次】
第1章 はじめに
 1.1 第一原理電子状態計算の実務とは
 1.2 便利に進化しすぎてますます混乱
 1.3 実務者として目指すべき到達点は何か
 1.4 参入の好機にある理由
 1.5 以降の内容
第2章 作業環境の構築
 2.1 ターミナル環境の整備まで
 2.2 作業ディレクトリを整備する
 2.3 Linux初学者への注意事項
 2.4 各種ソフトのインストール(Mac/Win共通事項)
第3章 計算の一連の流れ
 3.1 自己無撞着計算という計算プロセス
 3.2 インプットファイル群の準備
 3.3 自己無撞着計算
 3.4 手早くプロットして確認する
 3.5 電子構造の算定
 3.6 分散図描画
 3.7 クイック・チェックとしての物性計算
 3.8 補遺:k点パスの生成
第4章 計算条件の決定
 4.1 計算条件の決定とは何か/なぜ重要なのか
 4.2 計算分解能の決定
 4.3 擬ポテンシャル選定による予見差異
 4.4 交換相関ポテンシャル選定による予見差異
 4.5 計算条件が予見に及ぼす影響
第5章 第一原理解析の理解に関する勘所
 5.1 カーネル計算の位置づけ
 5.2 カーネル計算の勘所
 5.3 密度汎関数法の概略:交換相関ポテンシャルの理解に向けて
 5.4 擬ポテンシャル
 5.5 基底関数系
 5.6 ソフトウェアパッケージの選択指針
 5.7 補遺:SCF収束の調整
第6章 さらなる展開へ
 6.1 シミュレーション協働実務の進め方
 6.2 自分の興味ある系への適用に至る道筋
 6.3 マテリアルズインフォマティクス
 6.4 ハイスループット化とワークフロー化
 6.5 マテリアルゲノムへ

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