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近刊紹介『1つの定理を証明する99の方法』

2021年1月下旬発行予定、『1つの定理を証明する99の方法』(フィリップ・オーディング 著・冨永星 訳)のご紹介です。

同書の「はじめに」を、発行に先駆けて公開します。

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『1つの定理を証明する99の方法』はじめに

著:フィリップ・オーディング
訳:冨永星(とみなが・ほし)

1610年4月9日、ガリレオの『星界の報告』の新刊見本を受け取ったヨハネス・ケプラーは、すぐにファンレターを書いた。「自分自身の経験という支えもなしに、何のとまどいもなくあなたの主張を受け入れるわたしは、きっと無謀に見えるでしょう。ですが、もっとも造詣の深い数学者を信じずにおられましょうか。その様式(スタイル)そのものが、その方の判断が健全であることの裏付けとなっておりますのに」と認(したた)めたのである。わたしたち現代人には、数学者の業績を様式の観点から捉える習慣がない。たしかに証明は論証の一つの形ではあるが、証明された定理の真偽が、証明の様式はもちろんのこと、たかがレトリックの特徴ごときに左右されるとは思えない。科学の普遍的な言語である数学には、記号による表記や抽象性や論理的な厳密さによって特徴付けられた「数学的様式」という一つの様式が存在する、ということが広く常識として受け入れられているのだ。

この本は、そのような数学の概念の捉え方への異議申し立てである。アルス・マテマティカ〔ars mathematica、中世の大学における数学の総称で、算術・幾何・天文・音楽の四科を指す言葉〕が普遍的で単一なものである、という信念が生まれたのにはちゃんと理由があるが、だとしても、ほんの少し内省するだけでいくつかの基本的な疑問が浮かんでくる。「その」数学的様式は、いったいどこから来たのか。その様式は、数学に関する知識が増えるにつれて、どのように展開してきたのか。その様式は、どのような機会を開き、あるいは閉ざすのか。その様式の力は、数学の書き方、ひいては読み方が変わるにつれてどのように進化してきたのか。その様式には、表現や認識や想像の点でどのような力があるのか。

これらは本質的に、数学の著作全体、つまり文献に関する問いである。しかし、この大きさの本でそれらの「文献」―具体的には、代数学から幾何学、数論から物理学、論理学、統計学に至る広範なテーマに関する、バビロニアの青銅器時代の粘土板から今日のピアレビューによる雑誌や電子版の予稿に至るまでの膨大な資料の集合体―を調べることはどう見ても不可能だ。そこでここでは、レーモン・クノーの『文体(スタイル)練習』に基づくやり方で、数学の断面図を記述していく。クノーは1947年に刊行されたこの文学作品で、まったく同じ単純な物語―まずバスのなかで言い争っているところを目撃され、それから友人とコートのボタンの位置について話している姿を目撃された一人の男の物語―を題材とし、その物語に99通りのやり方で手を加えている。文体、つまりスタイルをめぐるこれらの練習を通じて、さまざまな形の散文や詩や談話、さらには擬音やラテン語もどきや、2、3、4、5文字の群による置換といったより衝撃的なこじつけを作りあげているのである。著作家であり詩人であるだけでなく、プロではないが数学者でもあったクノーは、数学史家のフランソワ・ル゠リヨネとともにウリポ(Oulipo)という実験的な著作グループを立ち上げた。主としてフランス語を使う著作家が集うこのグループのOulipoという名前は、Ouvroir de Litérature Potentielle〔潜在的文学工房〕の頭字語で、ジョルジュ・ペレック、イタロ・カルヴィーノ、マルセル・デュシャン、ジャック・ルーボー、クロード・ベルジュ、ミシェル・オーディンといった著作家や芸術家や数学者が参加し、数学からヒントを得た規則や制約が文学にもたらしうる可能性の探求を標榜していた。わたしはウリポとクノーの著作のことを知るやいなや、書き方に制限が加わることで数学的な記述―すなわち証明―にどのような影響が及ぶのかが知りたい、と思った。

わたしがこの本のテーマに据えたのは3次方程式と呼ばれる代数方程式で、各章では、その解を巡るまったく同じ、些細ともいえそうなごく小さな定理が証明される。「16 古代の」から「61 現代風の」までの証明の多くは、3次方程式に関する数学の文献に登場しており、極端な例としては、古い文献から取ってきたことが歴然としている「7 発見された」証明がある。実際この証明は、ルネサンス期の代数に関する有名な論文から取ってきたものなのである。そうはいってもたいていは、そうとうな工夫や解釈を施す必要があった。一つには、「6 公理的な」や「96 静電気学による」の物理学に基づく証明のように、そこでの様式自体が3次方程式の観点から見ると周辺に位置する分野で作られていたからだ。「26 聴覚による」の楽譜や建築に関する「62 軸測投象的な」のように、数学とはかけ離れた分野から様式を持ち込む場合には、さらに大胆な解釈が必要だった。

これらの証明のなかには、厳密さに関する独特の水準を満たしているものもあれば、今日の証明の水準には満たないものもあり、なかにはまったく目的が異なるものもある。

一つひとつのバージョンはおおむね1ページに収まっていて、裏のページには短い考察があり、その証明の細かい説明や出典に関する情報、それぞれの様式の性質や意味に関する筆者自身のコメントが載っている。関連するバージョンへの相互参照を使えば、読者のみなさんも、筆者による独自の章立てから踏み出して、この本のなかにご自分の道を見つけることができるはずだ。

これは、3次方程式についての数学の論文ではなく、ここでテーマとした3次方程式も、ほぼ適当に選ばれたといってよい。章のタイトルから歴史的な筋立てを感じ取る方もおいでだろうが、これは数学史の本ではない。さらに、中身や様式の存在論的位置づけについて論じている箇所もあるが、決して哲学の著作ではない。これは数学についての著作、数学の態度や規範や展望や実践、要するに数学の文化に関する著作なのだ。

数学的証明の比較研究では、じつはこれまでにもさまざまな形で内容と様式の関係が論じられてきた。1938年にはH.ペタールが「猛獣狩りの数学的理論への一貢献」という論文を発表しており、ライオン捕獲問題への現代数学および物理学の38通りの応用例を紹介している。今回この作品をまとめている最中に、さらに二つ、クノーの『文体練習』の数学版が見つかった。リュドミラ・デュシェーヌとアニエス・ルブランによる『Rationnel mon Q〔わが理知的なQ〕』と、ジョン・マクリリーによる『Exercise in (Mathematical) Style〔(数学)文体練習〕』である。これらの作品にはむろんある程度の重複があるが、それにしても、様式の研究自体がこれほどまでにバラバラな様式を持っているのは驚くべきことだ。そしてこの事実そのものが、クノー自身の作品の基本前提が持つ力を裏付けているのである。

もっとも造詣の深い数学者ガリレオの様式の、いったいどこが際立っていたのだろう。「彼にとってのよい思考とは、迅速で、推論が敏捷で、論点に無駄がなく、それでいて創造的な例を用いる思考である」とイタロ・カルヴィーノは記している。ウリポのメンバーだったカルヴィーノがガリレオ様式のもっとも明晰な申し立てとして挙げたのは、1623年に発表された『贋金鑑識官』の次の一節だった。ガリレオはその一節で、ひたすら権威に頼って議論を続けようとする敵をとがめ、次のように断言している。「だが議論は、運ぶことではなく、走ることと同じなのである。バレベリア地方産の駿馬は、フリージア産の馬百頭よりも速く進むことができる」。カルヴィーノはこれを、ガリレオの「信仰宣言―思考方法としての、また文学的嗜好としての様式への信仰の宣言」としている。筆者自身も、ここではこの信仰を保とうとした。

この企画を立ち上げた動機はただ一つ、文学的媒体、審美的媒体としての数学を概念化するところにある。数学の専門家たちが美学の言葉を用いて己の業績を記述してきたことを示す証拠は、それこそ枚挙に暇がない。しかし彼らが使う言葉は、少なくとも公(おおやけ)にはかなり限られている。頻繁に繰り返されている「美しさ」や「優美さ」は、おそらく数学的な嗜好の重要な要素なのだろう。けれどもこれらの言葉からは、数学的な嗜好がいかに広くて微妙か、数学的な嗜好が数学以外の文学的・美的経験とどう関係しているのかといったことは伝わってこない。ここに挙げた99個の(いや、「0 省略された」をほかの証明と同等に扱うと、100個の)証明は、数学に風味や調子を加味している素材、論理や言い回しや想像力や、果ては活字に至るまでのさまざまな素材の差を浮き彫りにするためのものなのだ。願わくば、ここで取り上げている事柄に関してほとんど、あるいはまったく素養を持たない読者の方々にも、これらの様式の違いを感じていただけますように。この本に挙げられている例を追ってページをめくり、少し手を止めて、自分の感覚に良くも悪くも引っかかった証明をしげしげと眺め、まったく引っかかりがない例は気楽にスルーするだけでもかまわない。そしてさらに深掘りしたい方々は、きっとこの作品自体が数学ゲームであることに気づかれるはずだ。いずれにしても、読者のみなさんにこの本を手渡すことで、数学をさらに生き生きしたものにできれば、筆者の当初の目的は果たされたことになる。

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『1つの定理を証明する99の方法』
https://www.morikita.co.jp/books/book/3386

著:フィリップ・オーディング 
サラ・ローレンス大学教授。幾何学、トポロジー、および数学と芸術の関わりに興味をもつ。                         
訳:冨永星(とみなが・ほし) 
翻訳家。1955 年生まれ。京都大学理学部数理科学系卒。国立国会図書館司書、イタリア大使館・イタリア東方学研究所図書館司書、自由の森学園教員を経て、現職。『知の果てへの旅』(新潮社)、『若き数学者への手紙』(筑摩書房)、『MATHEMATICIANS』(森北出版)、『時間は存在しない』(NHK 出版)など訳書多数。2020 年度日本数学会出版賞受賞。

【目次】


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