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第一人者による、本格的な入門書――近刊『数理人口学入門』読者へのガイダンス公開

2022年9月中旬発行予定の新刊書籍、『数理人口学入門』のご紹介です。
同書の「読者へのガイダンス」を、発行に先駆けて公開します。

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読者へのガイダンス
本書を手にした読者の大部分は、ある程度数理モデルに慣れ親しんでいても、数理人口学に関しては初めて、あるいは聞いたこともなかった、という方ではないかと思う。またより一般に、人口学というものも、周知の学問とはいえない。そこで、本文に入る前に、筆者が考える数理人口学のポイントとなる視点について、一言述べておきたい。

人口学は、そのカバーする範囲は非常に広いが、その基礎は、ヒト集団の個体特性別の分布、構造、再生産などを定量的・定性的に分析する技術やモデルである。たとえば集団生物学や数理社会科学などでも、個体群の数理モデルが広く使われているが、そうした一般の数理モデルと区別される「人口学的方法」というものがあるとすれば、それは「年齢」変数による個体識別を必ず考慮しているということである。すなわち、人口学の中核的技術は「年齢構造の科学」にほかならない。

人口は、ある特定時点に生まれた個体群(コーホート)の集積として現れる。そして個体のライフイベント(結婚、出産、死亡など)は、コーホート上で加齢とともに発生する。個体の行動変容は、まずこのコーホート上でのイベント発生率の変化として現れる。人口政策のターゲットも個体であって、抽象的な「人口」ではない。そこで、個体レベルの運動と集団の力学の関係を確立することが「人口学的方法」の核心である。たとえば「人口学の基本定理」は、時間的に定常的な環境において、一定のライフイベントの発生を経験するコーホートの集積の結果として、「集団レベル」での人口の成長率や年齢プロファイルの長時間的挙動が特性方程式を通じて決定されることを示している。

数学的には、集団レベルにおける年齢別人口分布が満たす方程式が第2章で扱うマッケンドリック方程式であるが、その特性線に沿って現れる常微分方程式が、個体レベルの方程式にほかならない。個体レベルの方程式は、より多くの個体の異質性を取り入れれば、個体が生まれてから死亡するまでの生残過程を記述する連立常微分方程式や偏微分方程式になる。人口学的方法の核心は、個のレベルから集団のレベルへ、あるいは逆に集団のレベルから個のレベルへ、自由に往還する視点を確立しようとする構造化個体群ダイナミクスの方法論[*1]と重なる。

本書の構成について述べておこう。第1~3章では、主に同時出生集団ないしは平均的個体の生残過程を記述するモデルを考えている。その最も基礎的なツールは古典的な生命表モデルである。このモデルですでに、コーホート的な見方と期間的な見方の相克という、人口学における宿命的課題が現れている。2000年代には、生存モデルから計算される人口指標の解釈に関して、人口学者の間で大きな論争も起きた。その点は第3章で言及しており、これは邦語として初めての解説であろう。ただし専門的論点であるから、最初はこの章を飛ばして読んでいただいても差し支えない。

第4、5章では、生残過程に出生過程というフィードバックを接合することで、集団の再生産ダイナミクスを記述する基本モデル(安定人口モデル)を考える。第5章で扱う連続時間の安定人口モデルは理論的に最も重要なモデルであるが、ここではできるだけ直感的な説明にとどめている。数学的に厳密な取り扱いについては稲葉[*2]、Inaba[*3]などを参照していただきたい。

第6章には、線形モデルの範囲で過去20年間に開発された新しい概念やモデルの初等的解説が含まれている。これらにおける重要な視点は、年齢以外の個体の「異質性」をどのように取り入れて、よりリアルに人口現象をモデル化していくか、ということである。とくに、基本再生産数概念の拡張は核心的である。人口学における最初の異質性の取り入れは、居住地、結婚状態、労働状態などの有限で離散的な変数の導入として1970年代に始まった。これが多状態人口学である。一方、性別の取り入れは線形モデルの範囲でも可能ではあるが、理論的整合性を求めれば必然的に男女の相互作用(ペア形成)に関する非線形モデルに逢着する。しかし非線形両性人口モデルは、今日に至るまで満足すべき理論には至っていない。

非線形相互作用は第7、8章のテーマであるが、ペア形成と並んで、そこでの重要な概念は「密度効果」と「感染」である。人口学的に意義のある密度依存性は、密度が経済変数の代理とみなされるイースタリンモデルに代表される。一方、今日のCOVID-19において広く認識されているように、人口における感染は、生物学的因子ばかりではなく文化的因子にも見られる個体の異質性の伝播現象であり、最も影響力の大きい非線形現象といえる。その応用として、第8章では人口転換理論における拡散説のモデルを紹介した。

筆者の能力不足のため、紹介したモデルはすべて決定論的なモデルである。確率論的モデルや統計的モデルについては他書に譲りたい。実際のところ、確率論的人口学の体系というものはいまだ明確には存在していない。また、本書ではモデルの定性的分析と解釈に重きを置いたが、データからの具体的な計算方法については、たとえば中澤[*4]が参考になろう。本書を通じて「人口学的方法」の必要性、有効性を感じ取っていただければ幸いである。

[参考文献]
*1:J. A. J. Metz and O. Diekmann (1986), The Dynamics of Physiologically Structured Populations, Springer.
*2:稲葉寿(2002),『数理人口学』,東京大学出版会.
*3:H. Inaba (2017), Age-Structured Population Dynamics in Demography and Epidemiology, Springer.
*4:中澤港(2020),『R による人口分析入門』,朝倉書店.

※掲載にあたり、一部表記を変更しております。

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著:稲葉 寿(東京大学)

結婚、出産、死亡、人口移動などの人口現象を数理モデルで解明する数理人口学は、COVID-19への対策や、これから待ち受ける世界的な人口減少時代に向けて、ますますその重要性を増しています。
 
本書では、数理人口学の基礎理論を、第一人者が丁寧に解説します。
 
《本書の特長》
・マッケンドリック方程式や生命表など、カギとなる概念を丁寧に解説。このテーマになじみがなくても無理なく理解できます。
・実データを用いた例題を多数収録。理論の勘所がつかめます。
・感染症の流行現象への応用にも言及。数理人口学の射程の広さを実感できます。

【目次】
第1章 死亡過程のモデル

 1.1 死力,生残率,寿命
 1.2 生命表エントロピー
 1.3 多状態生残率
 1.4 コーホートと期間
 1.5 寿命に関する代替指標
 1.6 生命表の作製

第2章 マッケンドリック方程式
 2.1 年齢分布
 2.2 マルサス人口
 2.3 持続時間分布
 2.4 年齢と持続時間
 2.5 感染症数理への応用

第3章 生存モデル
 3.1 非反復事象と生存モデル
 3.2 リスク人口と発生率
 3.3 期間生存モデル
 3.4 年齢別成長率と期間カンタム
 3.5 比例仮説とその帰結  

第4章 レスリー行列モデル
 4.1 レスリー行列と基本定理
 4.2 繁殖価とマルコフ行列
 4.3 非負行列のペロン–フロベニウス理論
 4.4 移民項のあるレスリー行列モデル
 4.5 多状態レスリー行列モデル
 4.6 次世代行列と基本再生産数
 4.7 レスリー行列の要素推定 

第5章 安定人口モデルとその発展
 5.1 安定年齢分布
 5.2 ロトカの積分方程式
 5.3 人口学の基本定理
 5.4 時間変動環境におけるダイナミクス
 5.5 受胎と出産のサイクル

第6章 多状態人口分析
 6.1 多状態安定人口モデル
 6.2 パリティ拡大モデル
 6.3 両性問題I:線形モデル
 6.4 基本再生産数再論
 6.5 タイプ別再生産数

第7章 非線形人口学入門
 7.1 イースタリンモデル
 7.2 両性問題II:非線形モデル
 7.3 感染症モデル

第8章 人口転換の数理モデル
 8.1 人口転換の拡散モデル
 8.2 二つの文化の共存
 8.3 マルサスの罠から低出生力の罠へ

おわりに――アルフレッド・ロトカと数理人口論
演習問題略解
参考文献
索引


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