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#473 ボールが自分の思い通りに飛んで当然だと、一体いつから錯覚していた?

行き先はボールに聞いてくれ、では流石に困るけれど。

ソフトテニスをしていると、色々な声がテニスコートから聞こえてくる。ラリーをしていると、ボールが思った方向に飛ばなかったときに「ごめーん!」とか聞こえてくることはしょっちゅうだし、それがあまりにも続くと「もうっ!」とか「あーっ!」とか声に苛立ちが混じり始める。こんな経験は誰しもあるだろう。

そもそも、ボールは体の一部ではない。神経も通っていないし、右に動かそうと念じても動かない。そんな当たり前のことはみんなわかっているのに、いざプレーとなると思い通りにボールが動かないことにイライラしている。この世の物理法則を忘れてしまうのだろうか?

ボールを思い通りのところにコントロールして打ちたければ、適切なタイミングで、適切な大きさのスイングで、適切な力加減で、適切な身体の向きで、適切なラケット面の向きで、インパクトする必要がある。それを実現するためには、望ましいスイングフォームを身につけている必要があるし、飛んでくるボールに対してそのスイングを実行するためのフットワークが必要となるし、ボールの軌道を読む感覚が必要となる。それらは全て、学習や練習や実践によって身につくものである。つまり、ボールが思い通りに飛ばないということは、シンプルにそれが足りない、要は「実力不足」なのである。

なのに我々は、何故か自らの実力を過大評価して、ボールは思い通りの場所に飛ばすことができて当然のようなイメージを持っている。もちろん、理想的な状態のイメージを持つことは大切だが、それと現実が一致しないときに苛立つなどというのは、実力を過信している。

明石家さんまさんの言葉に、「落ち込む人は自分のことを過大評価している。過大評価しているから、うまくいかないときに落ち込む。今できること・やれることが全て(=現時点での頂点)。今の自分はこれぐらいなんだ、と受け止めているから、落ち込むことはない」という趣旨のお話がある。そのとき飛んだボールは、風などの環境要因も含めて今の実力。それが理想と離れているなら、その差を埋める努力をすればいいだけ。いちいち苛立っているのは、時間と精神力の無駄だということに気づこう。

(了)

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