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#414 当たり前のワナ

「当たり前」の尺度が自分と他人とでは異なるというのは、それこそ当たり前のことである。

近頃、そんな当たり前なことを再認識させられることがあった。ジュニアクラブのメンバーに遠征の案内を流したところ、思った以上に反応が芳しくなかったのだ。行き先は香川県で、こちらは滋賀県。片道の所要時間は3時間強。練習試合に行くとして、あなたはこの条件をどう思う?

僕は、3時間程度で行けるところに確かな経験や学びがあるとすれば、ほぼためらいなく行けるタイプである。これは僕にとっての「当たり前」なのだが、これがクラブメンバーとイコールではないことに気づけていなかったことが落とし穴だった。

断っておくが、遠征に行かない決断をしたメンバーを非難したいわけではない。香川までの移動は時間や労力を要することに加え、当然費用もかかる。遠征の移動は基本的に車。燃料費も高速道路料金も必要だ。それらと天秤にかけたとき、参加を見送る判断をするのは各個人の基準に沿ったことである。

学ぶべきは、自分が当たり前として決められることと、他者が当たり前とすることには必ずズレがあるということだ。そのズレが許容範囲であれば同調することができるし、逸脱していれば別の道を歩む判断をすることになる。そこに、同調を求める圧力があってはならない。

この”ズレ”については、埋める努力をする前にその存在を確認する情報共有が必要だ。コミュニケーションのトラブルが、その大半は互いの情報量の差から生まれるように、各人の”当たり前”がどこまでなのか情報量を揃えておく必要がある。

そういう意味では、今回の経験は僕にとって二つの学びがあった。一つは、当たり前の尺度が人によって違うことの再認識。もう一つは、その尺度の違いを可能な限り事前に確認しておくことの大切さ。チームの代表者として旗振り役を担う機会が多い以上、ときに振り返りその旗に誰もついてきていないような状況にならないよう気をつけていかなければならない。

(了)

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