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#467 迷惑に寛容でない国・ニッポン

迷惑をどこまで許容できるだろうか。

先日、JR東海道線・藤沢駅にて、線路内に男性が侵入したことで列車の運行に影響が出た件がニュースになっていた。その際の様子が居合わせた人によって撮影され、インターネット上で拡散された。その男性の様子を見るに、知的障害・発達障害を抱えているのだろうと予想される。

この男性の行動、これだけを切り取って考えた場合、間違いなく迷惑行為である。場合によっては犯罪となってしまうかもしれない。しかし、この男性自身にも制御の難しい衝動によって今回の行動は為されているように見えるし、にべもなく迷惑だと断じてしまうことにも僕は抵抗がある。それは、僕自身この件とは遠く離れたところにいるからなのかもしれないけれど。

線路から出るようにとホーム上から声をかけてくる人に対して石を投げるこの男性に、母親と見られる女性が近づいて行って抱きしめた。少し落ち着いたように見えたが、次にはその男性は線路上を走り出してしまった。女性が追いかけるが、男性の走る速度のほうが速い。結局そこで動画は終わっており、その後がどうなったかは知らない。

「迷惑だ」「危ない」と感じるのはぞれぞれの感性の範囲内でいいと思う。驚いたのは、釣りなのか本気なのかわからないが、障害のある人を社会から排除すべきと平気で言ってしまう人がいるということだ。インターネット上の匿名ならなおのことなのかもしれない。

他人に迷惑をかけたことがない人がいるだろうか。そりゃ、誰かに迷惑をかけてしまったことはあるけれど、線路に立ち入って不特定多数の人に迷惑をかけるようなことを自分は絶対にしない、とみんな言うだろう。だが、あなたが誰かにかけずに済んでいる迷惑をかけてしまう他人がいるように、あなたが思わずかけてしまいがちな迷惑をまるで行わない人だっている。その中には、何かしらの障害を抱えている人もいるかも知れないよ。

規模や程度の話ではなく、悪意のない迷惑をどれだけ制御できるかは個人差でしかない。なのに、それが他人の行為だとしたらえらく怒りをあらわにするし、それが障害を持つ方のことだったら「だから障害者は…」などと一括りにしようとする。世の中そんな人が増えていったら、息苦しくて仕方がない。

日本では、人様に迷惑をかけないことが美徳とされる。誰かに迷惑をかけるということに対して、とにかく厳しい文化があると言っていい。他者に迷惑がかからないよう配慮するのは素晴らしいことだけど、迷惑をかけることを許すことができなければ、誰かの迷惑も許せなくなってしまうのではないか。

この”迷惑”というやつに対する考え方として、僕はインドの文化が素敵だなと感じている。すごく大雑把な言い方をしてしまうと「生きていれば誰かに迷惑をかけてしまうのは仕方のないことなんだから、他人からかけられる迷惑にも寛容であろう」ということだ。悪意のあるものは論外だけど(迷惑系YouTuberとか以ての外)、そうでなければお互い様の精神でゆったりと構えていきたいものだ。

最後に。前述したように、おそらく本件で線路内に立ち入ってしまった男性は何かしらの障害を抱えていると思われる。母親(らしき人)が対応していたが、男性は母親より身体も大きく、母親が一人で制御するのはかなり難しいことが予想される。いわゆるワンオペで外出するのは難題だ。そうした部分で外出中の移動支援など福祉サービスは存在するが、この男性がどれぐらい支援を受けることができていたかはわからない。もしかしたら、母親は自分が一緒に行動できるときだから、自分が見なければならないと思ってしまったかもしれない。もしかしたら、男性は自閉症の程度が強く、介助者との関係性構築に時間がかかってしまうのかもしれない。そういった背景も含めて物事を見ていけるようになると、ちょうど良い”寛容”は実現できるのかもしれない。

(了)

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