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#483 朝の通勤路にも文化はある

以前、一時的にだが東近江市まで仕事に行っていた頃。朝、通勤路の途中に線路をまたぐ高架の道路を渡ってきた車と、その高架の下をくぐってきた車とが合流するポイントがあった。その合流ポイントのすぐそばには丁字路の交差点があるのだが、大きめの県道と国道の間にあるポイントなので、朝はなかなか混み合う。

僕は、高架の下をくぐる道路をいつも通っていた。優先は高架を渡る方の道路なので、なかなか合流できないのではないかと思われるかもしれないが、意外なことにそれほど長く待たずに合流することができる。何故かというと、その合流ポイントでは通る車のほぼ全てが、高架から来る車と下からくる車が一台ずつ交互に入るように譲り合っているからだった。

誰かがその場で交通整理をしているわけでもなく、そのようなルールがあるわけでもない。譲り合いましょう、と標語が掲示されているわけでもない。要は、いつもその場所を通る人達の中で譲り合う文化が醸成されているのだろう。誰が最初に始めたのかはわからない。しかし、気がつけばその場所では当たり前の文化になっていたのだと思う。

時は流れて。僕は少し前に引っ越しをした。それにより、朝の通勤で職場まで車移動する時間が生じた。以前は自宅からの自転車通勤だったので、新しい通勤路でも色々な発見がある。

今の通勤路でも、途中で国道を横切らなければならない。その手前に、これもまた偶然にも丁字路の交差点がある。僕の朝の出勤時だと、その丁字路には直進or右折ができる方向から到達することになるのだが、右折レーンのない小さな交差点なので、右折しようとする車がいるとどうしても詰まってしまう。時差式で右折の車が流れるように工夫はされているが、時間も短いのでなかなか進まない。

しかし、大半の車は直進する。もし対向車線の車が右折車を入れてあげるように行動すれば、その後ろに待っている多くの直進車も進むことができるし、交差点もそれほど詰まらずに済む。それはルールではないし強制されることでもないから、譲らない車を非難するつもりは一切ないが。

その文化があるかどうか、だけの違いだ。前者の合流ポイントでは、誰が最初に譲り合う行動を始めたのかはわからない。それだけのことだが、その場を通過するときの快適さには大きな違いがあると思う。誰かのはじめの一歩から。そしてそれに共鳴する誰かが現れて、共に行動して輪が広がっていくところから。業界やチームの文化もそうして作られるのだと思う。

(了)

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