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#447 嫌いだけど向いているもの

僕は努力するのが嫌いだ。

日々、コツコツと…という積み重ねがとにかく好きじゃない。才能があって、センスがあって、という人は、僕と同じ努力量(に見えている状態)でも一足飛びに先に行ってしまう。そんな場面に出会うたびに、なんとも虚しくなる。

では、自分に向いていることは何だろうか。僕はソフトテニスというスポーツに関わっているが、ソフトテニスというスポーツが僕に向いていなかったかといえば、まぁある程度はできているのだから全く向いていなかったわけでもない。コーチという役割も、向いているのかどうかはわからないが、少なくとも苦ではない(そう、これは苦ではない)ので、全く向いていないわけでもなさそうだ。

勘違いしてほしくないのだが、才能ある人が努力をしていないと言いたいわけではない。才能やセンスのある人も見えない努力をしている・してきたのは間違いないだろうし、だからこそそれに見合う結果や実績を得ているのだろう。それは重々承知である。

僕はソフトテニスの選手としては、目立った成績を残すことができなかった。コーチとしては、まだ走り始めて10年と経っていないので過去形にはできないけれど。中学から競技を始め、高校、大学、社会人と続けてきた道のりは、過ぎ去ったことだから過去形にできる。

中学では団体戦メンバーにこそ入っていたものの、チームの三番手。個人戦で県ベスト8に入ることはできたものの、近畿大会では一勝もできずに終わった。高校ではぼちぼち県大会に出ることはできていても、最後の大会ではその県大会に出ることもなく終わった。大学の部活ではリーグ戦のレギュラーに入れたことは一度もない。社会人になってから大会に出ても、そのほとんどは予選リーグ敗退。一度だけ、ラッキーも重なってベスト16までいけたことがあるぐらい。

高校以降は負けっぱなしの競技者生活だったけれど、中学の時はそこそこ活躍できた。一番になることはできなくとも、二番手、三番手であっても、負けっぱなしということはなかったと思う。では、高校以降の僕に何が足りなかったのか。

環境の原因はゼロではないけれど、それを抜いて考えたとき、原因は間違いなくサボったことだろう。思えば、中学の時も一年生のときはほとんど部活に行かない部員だったが、やっぱり負けっぱなしは嫌だと思って二年生から部活に行くようになった。負けないように努力もした。結果、一番にはなれなくとも、試合で勝つこともできるようになった。

僕は努力が嫌いである。コツコツは、しんどい。でも、僕はその“コツコツ”が向いている、圧倒的凡人なのだと思う。凡人である自分を認め、他人よりも一つでも多くの努力を積み重ねることで成果を出す、ということが向いているんだと思う。そんな自分を知れたとき、「あーもう、めんどくさい!」と思いながらも努力することを、少し好きになれそうな気がした。

最後に、そんな自分を再認識するきっかけをくれた本をご紹介する。“サトミツ”こと、佐藤満春さんの著書「スターにはなれませんでしたが」だ。

好きを大切にして、求められることに最大限に応えていった先に、贅沢ではないけれど幸せな日々が待っていた。サトミツさんの著書には、決して表舞台でキラキラと輝くスターにはなれなくとも、自分の生きていく場所を見つけられるエッセンスが詰まっていたように感じた。個性に悩む必要なんてなく、そうやって見つけた居場所に自分らしさはあるのかもしれない。

(了)

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