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#437 行き過ぎた根性論が招いた悲劇

今日は何の日、というのを調べたときに、悲しい出来事が出てくることもある。

昨日、4月25日は、JR福知山線の脱線事故が起こった日である。2005年の出来事であり、もう18年も前になる。当時のことをご存知ない方もおられるかもしれないので、この事故についてのWikipediaリンクを添付しておく。

あらためて、この事故でお亡くなりになられた運転士および乗客の皆様のご冥福をお祈りするとともに、負傷され心身ともに傷を負われた方々へお見舞い申し上げたい。

少し余談だが、当時僕は大学生で神戸に住んでおり、朝のニュースで事故を知った母が「よもや乗っていまいか」と心配して電話をかけてきたことを記憶している。対して僕は呑気に朝寝坊をかましており、いつまで経っても電話に出ないものだから大変心配されてしまった。それは申し訳ないことをしたものだと思っている。

この事故の直接的原因は、カーブ侵入時における運転士の不注意での減速の遅れとされている。ただ、当時から指摘されたように、この不注意を招いたJR西日本の体質に大きな問題があったのは間違いないだろう。

問題とされた体質とは「日勤教育」と呼ばれるものである。これは、教育とは名ばかりの行き過ぎた根性論からくる懲罰のようなものである。これについての概要を、Wikipediaから抜粋する。

目標が守られない場合に、乗務員に対する処分として再教育などの実務に関連したものではなく、日勤教育という懲罰的なものを科していた。具体的には、乗務員休憩室や詰所、点呼場所から丸見えの当直室の真ん中に座らせ、事象と関係ない就業規則や経営理念の書き写しや作文・レポートの作成を一日中させた。トイレに行くのも管理者の許可が必要で、プラットホームの先端に立たせて発着する乗務員に「おつかれさまです。気をつけてください」などの声掛けを一日中させたり、敷地内の草むしりやトイレ清掃などを命じるなど、いわゆる「見せしめ」「さらし者」にする事例もあれば、個室に軟禁状態にして管理者が集団で毎日のように恫喝(どうかつ)や罵声を浴びせ続けて自殺や鬱に追い込んだ事例もある。それが充分な再発防止の教育としての効果につながらず、かえって乗務員の精神的プレッシャーを増大させていた温床との指摘も受けている。
事故の当該運転士も、過去に運転ミスや苦情などで3回の日勤教育を受け、知人や友人に「日勤教育は厳しい研修だ」「一日中文章を書いていなければならず、トイレに行くにも上の人に断らなければならないので嫌だ」「日勤教育は社訓みたいなものを丸写しするだけで、こういう事をする意味が分からない」「給料がカットされ、本当に嫌だ」「降ろされたらどうしよう」と話していた。さらに、事故直前の伊丹駅での72 mのオーバーランの後、車掌にオーバーランの距離を少なく報告するように車内電話で要請したことも明らかになっている。
日勤教育については事故が起こる半年前に、国会において国会議員より「重大事故を起こしかねない」として追及されている。また、日勤教育は「事故の大きな原因の一つである」と、多くのメディアで取り上げられることになった。
国土交通省の事故調査報告書は、日勤教育について「ほとんど精神論」と断じ、事故原因として「日勤教育等のJR西日本の管理方法が関与したと考えられる」と報告している。

Wikipediaより

日勤教育のようなものが導入された背景には、JR西日本が関西における各私鉄との競争の中でスピードやダイヤの利便さなどで差をつけようとしていたこと、ダイヤの乱れによる苦情などへの恐怖などがあったとされる。ダイヤの乱れによる苦情というものも気持ちはわからなくもないが、これが企業を、そこで働く人たちを追い詰めているとしたら、そんな感情の吐き出し方は誰も幸せにしていない。

話を戻すが、行き過ぎた根性論による懲罰、見せしめ、罵倒といったものは、もはや教育でもなんでもない。これはあまりにも悲惨な事例だが、我々もつい根性論的に懲罰に走ってしまっていないだろうか、見せしめになっていないだろうか、罵倒まではしなくとも相手の心を傷つける言葉を投げていないだろうか、悲劇を招く前に顧みられるようにありたいと思う。

新生活が始まって慌ただしさが落ち着いた今こそ、表情から穏やかに、機嫌よく過ごすことを心がけて、みんなが周りの人に少しずつ優しくあることを意識して。今日も健やかで幸せな一日であるように。

(了)

○この内容をもとにお話したstand.fmの放送は、こちらから聞くことができます


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