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#446 コントロールせずに仕向ける

他人をコントロールしようとすると、怒りが生まれる。

自分と他人、コントロールするならどちらが簡単だろうか?個人的には、他人をコントロールするほうが簡単だと思っている。なぜなら、他人を思うようにコントロールしたいなら、命令したり、脅したり、騙したりと、卑劣だが簡単な方法がたくさんあるからだ。

対して、自分のコントロールというのは「わかっちゃいるけどできない」という人が多いのではないだろうか。特に、コントロールの難しいものの代表格として「怒り」があるだろう。怒りは、不正や不当な扱いに対して沸き起こるような“当然”といってもよいものから、自分の主義主張が通らなかったときに起こる、場合によっては“わがまま”と捉えられても仕方のないものまで存在する。

他人(この場合は血縁的な意味ではなく自分以外の人全てを指す)が自分の言う通りに動いてくれないとき、怒りを覚えることもあるだろう。これは、相手との距離感が近ければ、その分起こりやすいものだと思う。なんでわかってくれないの、言うことを聞いてくれないの、という具合に、親や大人が子どもに感じることは多々あることだと思う。

昨夜、4歳の息子と風呂に入っていたときのことである。湯船にはお湯が張ってあって、先に息子の体を洗い、次に僕が体を洗っている間に湯船に浸かっているように言ったのだが、息子は遊んでいて一向に湯船に浸からない。もう寒い季節でもないから風邪を引くような心配はそれほどないが、せっかく湯を張ったのに浸からないのはもったいないし、言うことを聞いてくれないことに次第にイライラしてきた。

一瞬、怒鳴って叱ってやろうかとも思ったのは事実だ。ただ、息子は僕のしてほしいことをしていないだけであって、何か人に迷惑をかけるようなことをしているわけでもない。さすがにここで叱りつけるのも違うぞ、と思いを巡らせているうちに、僕も体を洗い終わった。

僕も湯船に入る。息子は湯船の内側にはいるものの、座って浸かることなく立ってシャワーで遊んでいる。いたずらに時間が過ぎていって、寝る時間が遅くなるのもよろしくない。そんなとき、僕の中に方便が降りてきた。

「そのシャワーな、お湯を出してる間、ずっとお金かかってんねん。そうやって出してる間な、お父さんのお金がどんどん減ってるねん。このままやったら、〇〇(息子の名前)が誕生日に買ってほしいって言ってたおもちゃ、買うお金なくなっちゃうなー。」

息子、ピタリとシャワーで遊ぶのを止める。父の方便、大勝利の瞬間である。だいぶ時間がかかったけれど。

僕が達成したかったのは、息子にシャワーで遊ぶのを止めさせる、ということ。頭ごなしに叱って止めさせることもできたが、“止めたほうが得”ということを理解させて伝えた結果、怒りをぶつけることなく目的を達成することができた。

スポーツ指導の場において。大人からの指示・命令、場合によっては叱責によって向かう方向をコントロールするというのはよく行われる。場合によっては必要なことだし、倫理・人道的に間違ったことであれば厳しく叱らなければならないだろう。しかし、プレーヤーとしてステップアップしていくための意識付けとしては、こっちを向いて進んだほうが得、という感情を刺激する方法も、無闇矢鱈と怒らずに済む方法なのではないかと思う。そんなことを思った、風呂場での一件だった。

(了)

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