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#429 「協力」と「責任」と「世話」

二日連続で、恩師との対話と絡めた話になる。

昨日は「叱る」と「怒る」の違いについての話だったが、先日の対話の中ではもう一つ大切な内容があった。それが、保護者の方の協力がいかに大切か、ということについてだった。

先生は常々、保護者さんの存在にも恵まれてきた、と言っておられる。保護者の方々が協力的だったから、これまでやってくることができた、と。僕からすれば、それは先生の人徳のなせる業に違いないと思っているし、僕もまだまだ下手ながらも保護者さんに協力を仰いでいけるよう、先生からいただいたアドバイスを生かしていきたいと思っている。

そんな中で、保護者の方の「協力」と「責任」と「世話」について考えてみたいと思う。

「協力」は、クラブの運営のために動いていただいたり、練習のサポートをしていただいたり、試合や遠征の際は事務的な手続きを行っていただいたりと、多方面でお力をお借りしている。ここ最近では練習でも球出しや試合の相手などでより体を使ったご協力もいただいている。大変ありがたい限りで、とても感謝している。

「責任」は、子ども自身の力だけではできないことを手助けすることを指すのではないかと思う。必要な用具を購入することだったり、練習や試合などへの移動を補助したり、飲食面の準備など、特に経済面で子どもだけではどうにもならない部分を補うのが保護者の方の責任に当たるだろう。

最後に「世話」である。これは保護者の方だけでなく指導者も気をつけなければならないことだが、子どもたち自身の力でできることも先回りしてやってしまうのは、世話、というより「お世話」と呼んでいいだろうと思う。子どもたちの自主自立のためには、あまり望ましいとは思えない。

実は直近のクラブ練習で、まさにそのお世話を目にした。練習開始前のウォーミングアップが終了後、各クラスごとにコートに分かれたところ、すでに練習で使うボールがクラスごとに分けて置いてあった。子どもたちに訊いても、誰も持ってきていないという。おそらく、保護者のどなたかが用意してくださったのだろう。

お世話は、100%の善意から良かれと思って行われる。悪意のないことだから責めるつもりはないが、子どもたちが自分のことは自分でできるよう促していくのであれば、指導者も保護者も自分の中の「良かれと思って」にブレーキをかける意識は必要なのではないだろうかと思う。

(了)

○この内容をもとにお話したstand.fmの放送は、こちらから聞くことができます


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