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#566 今の学びはいつか誰かの役に立つ

先日の「手紙屋」に続いて、同じく喜多川泰さんの「手紙屋 ~蛍雪編~」を読んだ。この物語は、第一作の手紙屋にも登場した内田和花という女の子が高校生だった頃の話だ。和花が勉強することの意味について、手紙屋とのやり取りの中で知り成長していく姿を描いている。

第一作の「手紙屋」が働くことの意味について説いたものであるのに対し、今作の手紙屋は学ぶことの意味について説いてくれる。和花は高校生らしく学校生活や部活動を楽しんでいるのだが、アルバイトだけはどうしても父親に許可をしてもらえず、父が「アルバイトをしてはいけないと思っている理由」を考えるように言われてしまうのだが、そのときに兄から手紙屋を紹介してもらいやり取りを始める。

手紙屋が教える、学ぶことの意味とは。勉強とは道具の一つであり、使いようによって善にも悪にもなる。その道具は「自分を磨くため」と「人の役に立つため」に使ったときに、正しい使い方をしたと言える、ということだ。勉強が自分を磨くためということはなんとなくでも想像がつく範囲かもしれないが、人の役に立つためという視点は意外と抜け落ちてしまいがちかもしれない。

誰かを助けるための仕事につくために勉強をする、という目的意識がはっきりしている場合、人の役に立つためという感覚は覚えやすいかもしれない。しかし、世の中の多くの学びというのは、それが誰かの役に立っているのかということを実感しにくいのかもしれない。こんなことを学んで何の、誰の役に立つのか。それを疑問に感じることは誰にだってあるだろう。

勉強すること、学ぶことというのは、これまで人類の歴史を築いてきた先人たちが積み上げてきたものを、それにたどり着くまでの過程をすっ飛ばして知識を得ることができる、ということになる。この時点で、先人たちの勉強、学びというものは、我々の役に立っている。そして、それに続いて我々がまた学び積み上げていくことで、これから先の誰かの役にきっと立つ。その感覚は、僕には新しい視点だったように思う。

学ぶこと、実践すること、アウトプットすること。これの繰り返しがいつか誰かの役に立つのかもしれないと思えたなら、ときに孤独な道のりもたくさんの人と一緒に伴走しているような、そんな頼もしさを感じることができるのではないだろうか。

(了)

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