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ミレナへの手紙(フランツ・カフカ)

再入手したカフカ全集から、まずはミレナへの手紙・再読了。

カフカの二人目の恋人・ミレナに宛てた手紙集。フェリーツェへの手紙の1/4ほどだけど、それでも半端ない量ある。

とりあえず思ったこと。
・「僕はやきもちは焼かない」の当てにならなさ半端ない 
・「手紙書いて欲しいわ〜、あ、これ独り言だから気にしないで」
・筋金入りの仕事嫌いで、自分がいかに仕事やる気がないかを熱弁するカフカさん
・そのくせズル休みはできない律儀なカフカさん
・翻訳家のくせに手紙が迷子になるレベルで悪筆なミレナさん
・手紙と電報だけで遠距離の恋人と日帰りデートの算段をつける大変さ
・「も」には注意

そんなわけで例に漏れずカフカの手紙のほとんどは「手紙ちょうだい」「会いたい」「仕事行きたくない」「俺はダメな奴」なのだけど、たまにすごく胸を掴む文章があって突然ハッとさせられたりする。
フランツとミレナが手紙のやりとりをするようになって初めてウィーンで再会した後の、言わば後朝の手紙。

今朝早く金曜日の手紙を、その後に金曜夜の手紙を受けとりました。最初のは非常に悲しい手紙で、駅頭の悲しげな顔そのまま、でも内容から言えばそれほど悲しいわけではありません。手紙が古くなっており、一切がもう過ぎ去っているからです。一緒に歩いた森も郊外も、一緒に乗った電車もです。いや、それは過ぎ去りはしません、この一直線につづく一緒に乗った電車の道は。それは石の道をのぼり、夕日のうちに並木の道をぬけ、いつまでも終りはしません。しかも終らないなどというのは、やはり愚にもつかない冗談なのです。(中略)万事につけ小さな鐘がこの耳の中で鳴っているのです、「彼女はもうお前のところにはいないぞ」と。もっとも大空のどこかにもう一つ強力な鐘もあり、これは「彼女はお前を見捨てはしない」と鳴り響いています。しかし小さな鐘は何といっても他ならぬこの耳の中にあるのです。ところがそこに夜の手紙がまた来たわけで、どうやってこれを読めたものか分らず、この空気を吸うためには、どうやって胸が充分に拡縮できたものか分らず、どうやってあなたから遠く離れていられるものか、結局それが分りません。
しかしそれにもかかわらず、嘆くことはいたしません。これはみんな悲嘆ではありません。私にはあなたの言葉があるからです。

読んでるほうが照れるようなザ・恋文。なのになんだか詩的な美しさがある。。

ミレナへの思慕が募る中、夢に翻弄されるフランツがミレナに書き送った言葉もまた印象的。
個人的にカフカの言葉の中で好きな文章ベスト5に入る。

今朝またあなたの夢を見ました。二人ならんで坐っていたのですが、あなたは私のことを拒みました。怒ってではありませんでした、やさしく拒んだのです。 私はひどく悲しくなりました。あなたが拒んだせいではなく、私自身のせいで悲しかったのです。あなたのことを誰かその辺のもの言わぬ女のように扱い、あなたから出て私に話しかけられた言葉であったのに、その声を聞きのがしてしまった自分が悲しかったのです。

なんか芝居の台詞っぽいよね。
鴻上さんの芝居に出てきそう。第三舞台の役者さんの群唱で聞きたい台詞。


一方で、この頃のカフカはかなり自分のアイデンティティについて悩んでいるのが分かる。
ユダヤ人でありながらドイツ人としての教育を受け、ユダヤ人の文化に親しむことなく育ったカフカは、ユダヤ人弾圧が強まる世情の中、自身のアイデンティティをどこに据えるべきかに苦しんでいた。
ほとんどの人が生まれながらに与えられ、保障されているアイデンティティ…自分の過去、現在、未来を取り戻す作業を、自力で一からやらなければならない。カフカはそれを、地球の回転に逆らって自分の過去を探すような大仕事だと述べたけれど、決して大袈裟な比喩ではないと思う。
ちなみにカフカは、俺にはそんな力は残ってない!と放り投げている…これはこれで清々しい。。。

私には或る特質があって、そのせいで私は、本質的にではありませんがしかし程度の差で、私のすべての知人と非常にちがっているのです。(中略)私の知るかぎり、私は彼らの中で最も西ユダヤ的な人間です。というのは、誇張していえば、私には一刻たりとも安らかな時間が与えられていないということです。私には何一つ与えられているものはなく、すべてを自分で獲得しなければならないのです。現在や未来だけではありません。過去すらもそうなのであり、どんな人間でもおそらく生れながらに持っているもの、それすら自分で獲得しなければならないのです。おそらくこれは、この上なく困難な仕事です。地球が右へ回ると―右へ回っているかどうか知りませんが―私は左へ回って、過去を取り戻さなければならない のです。ところがしかし、こうしたすべての義務を果すのに、力が全然ないといった始末で、世界を肩に担うことなどできはしません。冬の上着さえやっとの思いで肩につけているのですから。とはいってもこの無力は、そうそう嘆いてばかりいるにもあたらないのです。一体どんな力がこの課題を果し得るというのでしょう!自分自身の力でここを切りぬけようとする試みは、すべて気ちがい沙汰であり、気が狂って終るしかありません。だからこそあなたの書いているように、「それで行く」ことは不可能なのです。私には自力で自分の欲する道を行くことができません。それどころかそんな道を行こうと欲することさえできません。ただ静かにしていることができるだけで、他には何を欲することもできませんし、また事実他の何をも欲していません。

後にドーラと出会ってから、カフカはより一層ユダヤ文化への回帰を強めていく。
カフカ自身は結核のため若くして亡くなり、ホロコーストの犠牲になることはなかったけれど、カフカの最大の理解者オットラを含む三人の妹達は強制収容所で亡くなっている。ユダヤ人ではないミレナも、後に共産主義者のレッテルを貼られ、強制収容所で亡くなった。史上最大のヘイトクライムが徐々に熱を帯びてゆく中、カフカを取り巻く人々の直面した困難を思うと、、カフカが早世したのはある意味僥倖だったのかもしれないとさえ思う。

さて、次は何に手をつけようか。

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