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芹沢光治良と二代真柱の一生

 今月も無事に月次祭が終わった。毎月のこととはいえ、前日から準備などで忙しく過ごし、終わると「今月も無事に終わった」と安堵する。歳を取ると一日一日が無事に終わったことを本当に感謝するようになった気がする。人生の折り返し地点はとっくに過ぎて、あとは余生をどう過ごしていくべきかを考える歳になったからかとも思うが、そんな時にふと思うことがある。

 作家の芹沢光治良は98歳で出直しているが、かなり長生きできたのかと思う。二代真柱はご存じの方も多いと思うが、63歳で出直している。芹沢光治良の方が10年早く生まれ、26年長く生きたことになる。そう思うと長生きができて、出直す前まで本業の執筆活動を続けていたというのだから、本当にいい人生を送られたのかとも思う。二代真柱は今の時代からすると、決して長生きとはいえないが、濃密な真柱としての役目を駆け足で勤めあげられ、業績を残して出直されたのかとも思える。

 細く長く生きたいと思うのか、太く短く生きたいと思うのか、個人個人の考え方があるかもしれないが、今の時代、難しい問題のようにも感じる。なぜなら、長生きしたところで、核家族化した社会で、配偶者にも先立たれ、孤独に一生を終える人も少なくないからである。もう十分に生きたと思っても、簡単にはお迎えは来ない。それ以前に子供には迷惑をかけたくないとか、認知症になってしまい、徘徊したり子供たちに迷惑をかけてばかりの疎ましい存在になっているかもしれない。足腰が動いても自宅にいることが多く、徐々に体が弱っていくことを考えると不安に苛まれる人も多いのではないだろうか。

 日本の理想的な家族形態として昭和生まれの人なら、大家族で三世代くらい同居は普通で、一家の主が取り仕切り、喧嘩しながらも、にぎやかに暮らしていくのが理想だったような感じもする。しかし、現実はそうではなく、欧米文化が入り、核家族化がどんどん進んでいる。それでもできるだけ親の近所に住み、適度な距離間で、うまく暮らしている人もいることだろう。反対に遠方に住み、年に1・2回しか親に会っていないという人もいることだろう。

 先日、知り合いに頼まれて、パソコンのZoomの設定をしに行った。息子さんとパソコン画面越しに、その方がうれしそうな顔で話している姿を見たら、いい「ひのきしん」になったのかとも思った。「これでいつでも話せるようになりますよ」と操作法も伝え、失礼したが、複雑な思いもあった。これで幸せなんだろうか?

 人によって価値観も違い、考え方も違うが、どうすることが本当の幸せと言えるのだろうか。読者の方はどう考えるだろうか。話は戻るが、芹沢光治良は90歳を越えてからもペンを持ち続け、晩年にも作品を残し続けた。天理教の教会に生まれ、苦労して勉学を続け、東大にも進み、努力し作家の道を選び、それを最後まで全うした。人から見れば十分に幸せな一生だったのではないかとも思う。では、二代真柱は63歳という年齢で出直されたが、不幸だったのかといえば、そんなことはないとも思う。生まれた時から、真柱として庶民とはかけ離れた苦労もあったのかとも思う。また立場上、正直な思いを言えないこともあったであろう。

 人間、誰しもその家に生まれたいと思って生まれるわけではない。ただ上記の二人に共通するのは自分の生まれた境遇を理解し、自分の意志で人生を全うしたということだ。長い短いは人間が決めることではないのかもしれない。それこそ神の世界の話なのかもしれない。だとすれば自分に備わった才能や特性を活かして、人にも喜ばれ、自分自身も喜べるような道を歩み、多少の苦労や嫌なことをもろともせず、突き進んでいくべきなのかとも思う。そういった人の道を説いていくのが宗教であり、教祖中山みきが説いてきた人としての道ではないのかとも思う。

 定年退職もとっくに過ぎ、第二の人生を歩いているところであるが、最後のお迎えが来た時に「幸せな人生だった」と言えることを願って、前向きに行きたいと思うこの頃である。

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