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『人間の数に就て』

 今、世界の人口は調べてみると、約79億人いるようだ。増え続けているのであろうが、昨今のコロナ禍やウクライナの戦争、気候の変動などの影響で、多少数値に誤差もあることと思う。天理教では「九億九萬九千九百九十九人」という数をよく聞くが、そこからだいぶ増えていることになる。先人の中でも梅谷四郎兵衛さんが、疑問をもったようで、取次の仲田儀三郎、山本利三郎に聞いたところ、わからないので、教祖に伺いを立てたようだ。

或時、梅谷様より、仲田様、山本様などに、『人間は、九億九萬九千九百九十九人の人數と、聞かせられるが、中に、牛馬に落ちてゐるものも、有るとの事なれば、人間の數は、現在ふえてをりますか、又へってをりますか』と尋ねし處、『そんな事は知らぬから、これから神様へ伺はん』と申して、教祖様の御前に伺ひ、仲田様より、右の次第お尋ね申上げしに、暫し御伺ひの體にて、『それはふえてあるとおっしゃる』と仰せられて、それより、其の次第をおきかせ被下には、
『元は九億九萬九千九百九十九人の人數にて、中に牛馬におちて居る者もあるなれど、此世はじめの時より後に、いきものが出世して、人間とのぼりてゐるものが澤山ある。それは、とりでも、けものでも、人間をみて、あゝうらやましいものや、人間になりたいと思ふ一念より、うまれ變り出變りして、だん/\こうのうをつむで、そこで、天にその本心をあらはしてやる。すると、今度は人間にうまれてくるのやで、さういふわけで、人間にひき上げてもらふたものが、澤山にあるで』と仰せられ、一同感服して、御前を退りしといふ。

『正文遺韻』諸井政一 P261-262

 なかなかおもしろい話である。単純に引き算して70億くらいが生まれ変わり出変わりして人間になっているようである。愚かな争いを繰り返し、陽気にくらせなければ、世界人口も減っていくのだろうか? 生まれ変わり出変わりの順序はどうなっているのだろう?人間のすぐ下が牛馬ならその下は犬猫?さらに下は鳥?魚?
 
教祖の牛馬に関する話から考えると、以前、色恋じかけで、結婚をえさに保険金をかけて、次々と殺すような毒女のニュースがあったが、ああいうのが、牛馬に落ちる典型のような気もする。実際にそのような例は現代でもニュースを見ていると、かなりあるような気もする。

 反対の例も考えられる。牛や馬でも人間のために尽くして、役に立って、また生まれ変わったり、犬でも人間のために尽くして、今度は人間に生まれ変わったということも考えられる。うちで飼っていたワンちゃんも次は人間に生まれ変わってくるのかなとも思えてくる。

 教組様は仲田、山本などの先人が捕ってきたドジョウモロコ、エビなどを召し上がる時に「かういふものに、生まれてくるさかいに、人間にくはれて終はにやならん。早う人間に引上げて貰へよ」と仰ったそうだ。「さあみんな、おいしゅう食べてやって被下」とも。このような話は私も子供の時に聞いたことがある。食べ物を粗末にしてはいけないというもとになっているような気もする。

モロコ、ドジョウ、川エビ

「生物は、みな人間に食べられて、おいしいなあといふて、喜んでもらふで、生まれ變るたび毎に、人間の方へ近うなるのやで。さうやからして、どんなものでも、おいしい/\と云ふて、たべてやらにゃならん。なれども、牛馬といふたら、是れはたべるものやないで、人間からおちた、心のけがれたものやでなあ」と、御聞かせ被下しといふ。

『正文遺韻』諸井政一 P263

 私は海産物でも、鶏肉でも、野菜でも、天からの恵みだから、おいしく食べなきゃいけないと、多少、味付けが合わなくても、感謝して食べなきゃと食べてきたつもり?である。人間が70億も増えていることを考えれば、太古から、みんなおいしいと食べられて、かなりな数の生物が人間に引上げてもらったのだろうか。
 それはともかく、問題というか、ショックなのは、「牛馬といふたら、是れはたべるものやないで」という部分だ。「馬刺し」などは、好きではないから食べないが、「牛丼」とか、牛肉を使った料理は食べてきたもんなあ…。「吉野家」や「すきや」フリークの方々にもショックな話だとは思うが…。
 本部のエラい先生方も38母屋で高級な牛肉を使ったしゃぶしゃぶとか、お召し上がりになっていたと思うが、教祖様の御話はどこへ行ったのだろうかと余計なことも考えてしまう。

 まあ、我が家では牛肉は贅沢だし、肉ばかりじゃ、体に悪いから、魚料理もよく食べるのだが。とにかく米でも野菜でも魚、肉類でも感謝して食べることは基本中の基本だとも思うのだが、「牛」「馬」に関しては、教祖様は何か特別な思いがあったのだろうか?「おかの」の話が影響してるのだろうか…? 明治初期の頃だと、牛肉を食べることはまだ一般的ではなかったのか…。それとも耕運機代わりに牛馬を使っていたこともあり、現代とは牛馬に関する見方も違っていたのだろうか…。

農耕馬 田んぼの代掻き

 米食の日本とは違い、パンやジャガイモ、そして肉が主食の海外で通じる話だろうかとも思われるのだが、一連の話は人間の心遣いを戒めるためのものであり、その時代の状況に応じて、わかりやすく説かれたものなのかとも思う。したがって吉野家、すきや、ステーキハウスなどへ行ったら、食べる前に「早う人間に引上げて貰へよ」と念じながら、「おいしい/\なあ」と言って残さず、食べてあげなきゃいけない。
 
 現代に生きる我々は「ひもじい」思いをする機会など、あまりないようにも思うが、現実には格差社会で食うにも困る状況や貧困に喘いでいる人がいることも忘れてはいけない。
 教組は断食もよくされていたようだが、たまに断食することもいいことだと思う。もちろん教祖様の場合とは断食する意味合いが違うが、健康な人であれば、すきっ腹をがまんして、適当に水分だけとって、一日くらい食べない方が肉体的にも精神的にもいいような気がする。
 
食事のたびことに「感謝」を忘れずにいただこう…。

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