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一度、訪問したかった「沼津市芹沢光治良記念館」を訪問して

 このNoteで芹沢光治良氏の著作や雑誌の対談などの記事を取り上げてきたが、一度、芹沢光治良氏が生まれ育った静岡県沼津市の我入道芹沢光治良記念館へ行ってみたいと思っていた。夜行バスに乗って沼津まで行き、市内バスに乗り換えて、行ってみた。リハビリテーション病院でバスを降りると「芹沢文学館」と書いた石碑が見えたので、すぐにわかった。

芹沢文学館前の公園

 入場料100円を払って中に入ると写真や直筆の原稿や手紙など貴重なものがいろいろ展示されていた。芹沢文学の愛好家なら興味深く感じるものばかりであった。私も若い頃パリに在住していたことがあるが、記念館の壁にパリ市内の地図もあり、懐かしい気分になった。芹沢氏はブローニュの森の近くに住んでいたんだと思うと感慨深いものがあった。私が滞在中、セーヌ川やシテ島や多くの美術館などを巡り歩いたが、その60数年前に芹沢氏も同じところを歩いて、いろいろ見ていたのかと思うと、不思議な思いもする。恐らく日本人など周りに皆無だっただろうとも想像する。

芹沢文学館の中

 記念館は総コンクリートのヨーロッパを感じさせる建物だ。螺旋階段を上ると屋上にも抜けられ、海も見えた。天気は良かったが風が強かった。

螺旋階段
記念館屋上から

 螺旋階段の途中には芹沢光治良夫妻の人形が飾ってあった。とてもかわいらしい人形だ。

芹沢氏の人形

 館内を一通り見て、訪問記念に置いてあったノートに記帳して、外へ出てみた。パンフレットの地図も確認しながら、我入道を歩いてみることにした。浜に出てみると潮風が強かった。芹沢氏はここで生まれ育ったんだと小説のいろいろな場面が思い浮かんでくる。見えていた景色は今とは違っただろう。こんなにコンクリートやアスファルトで整備もされていなかっただろうとも思った。

記念館裏の浜
浜から見た文学館

 残念ながら富士山は雲がかかっていて見られなかった。きれいに晴れていたら、どんなにすばらしい富士山が見られたかと思うと残念だった。

遠くに富士山が見えるはずだった

 記念館と浜との間に大きな石の記念碑があった。写真でも見たことがあったが、実物を見ると本当に大きいと感じた。沼津市の名誉市民でもあり、大きな功績を残した人なのだと感じる。

文学館裏にある石碑

 沼津駅の観光案内所や記念館でもらったパンフレットの地図をたよりに、我入道の町を歩いてみたが、芹沢氏に所縁のある天理教楊原分教会の前を通ったら、紫色の旗が見えた。ちょうど祭典日だったのだろうか。みかぐら歌と鳴り物が聞こえてきた。何もない普段の日だったら参拝させていただこうかとも思ったが、祭典中だったようだから、遠慮して通り過ぎてバス停に向かった。

 何年も前から一度、行ってみたいと思っていた所だったので、とても楽しい一日だった。我入道の町を歩きながら、見えている風景は芹沢氏の子供の頃とは違うと思ったが、至る所に漁師町だったと思わせるものがあったりした。夜行バスで眠れなかったが、眠気も吹っ飛ぶ楽しい一日だった。

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