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あれから2年たったが、今も神の試練は終わらずに続いているのか…

 2年前にネット上のあるところに書き込んだコメントだが、それから2年が過ぎようとしている。その時から自分の考えが変わったか、自分の考えは間違っていたのか読み返してみた。しかし、何も変わらず、2年が過ぎようとしている。むしろコロナ禍は終息の見通しがまだ見えず、更にロシアとウクライナの戦争も起こり、混乱している状況が続いているようにも感じる。
 以下は2年前に自分が書いた文章である。

モリジロウ 2020年6月26日 8:17PM 
 新型コロナウィルスで世の中がすっかり変わってしまった感があるが、個人の受け取り方も様々あるように思う。天理教の神様は新型のウィルスも収められないような神なのかという人もいれば、神がこのウィルスを与え、人類に問いかけているという人もいる。それぞれが考え、どう悟るべきなのか思案している人も多い。人も集められない、本部月次祭におぢばがえりしても神殿で参拝もできない。地方の教会でも信者が集まることも憚られ、まして、鳴り物を入れてのおつとめや講話も自粛しているような状況を鑑みると親神の思いをどう悟るべきなのかと自問している教会長も多いのではないだろうか。 

 親の代からの信仰で教えてもらった形式を重んじて、素直にそれを守り続けることが天理教の信仰だと頑なに続けている人もいるのであろう。しかし、この新型コロナウィルスの影響で自粛する中、いろいろ思案を重ねる人も増えたのではないか。
 親の代の信仰はその親が生まれた頃には既に確固たるものとして形成されており、疑うことも調べることもなく素直に受け入れることがこの道の信仰だと教えられてきたのではないか。また子である自分の代も理不尽だと思うことがあっても、それには向き合わず、後継している人もいるのではないか。
 天理教の歴史を調べていて感じるのだが、親、祖父母の代からずっと続いていて、ルーツを辿れば、布教師に助けられ、全財産を差し出し、教会に住み込み無一文から布教に出て、教会を設立したというところも多い。神の言葉を伝えていた本席在世時である明治40年までは、まだまだ生きた信仰があったのかとも感じる。しかしその一方で明治20年の教祖が現身を隠して以来、神道直轄教会として教祖の望む、本来の道とは違う動きが続いていたとも言える。内務省秘密訓令が出て、厳しい状況に置かれて、水屋敷事件が起こり、一派独立運動、神道理論の明治教典が発刊され、教祖20年祭が行われ、本席からナライトにさずけを渡す役目も代わったが、一派独立を果たし天理教教会本部ができてからは、現在に続く体制の基礎が出来上がったと言える。つまり父母を超えて祖父母の代には上意下達の組織構造が確立していたのかと思われる。従って神の言葉が純粋に伝わっていたのではないようにも感じる。
 そんな中を初代、二代は理不尽を感じても素直に通ってきたのかとも思える。今のように文献やネットで調べ、天理教の歴史を俯瞰してみることもできず、上意下達の情報をただ純粋に信じて信仰を続けていたのかとも思う。 大正期から昭和初期にかけては、もはや神の言葉は伝えられず、井出クニ、茨木基敬、また熱心な布教師も罷免され、教内では伏せられたこととしてタブーになっている。組織にとって不都合なことは異端として片づけるのが一番手っ取り早い。そして疑問を感じ、異議を唱える者を「異端か?」と言えば相手は黙る。しかし、冷静に考えれば、教祖の目から見ればどちらが異端なのだろう。曖昧なまま不満を抱えながら自ら調べることもせずに流されるまま形式を守ることが信仰なのだろうか。
 黒い着物を来て十二下りを踊ることが信仰なのか。黒い刺繍の入った教服を着てルーティンで朝夕のおつとめをするのが信仰なのだろうか。私はそうは思わない。それはただ伝統に従おうという姿にしか見えない。おつとめ着を着ていようが、教服を着ていようが、ハッピを着ていようが、或いは平服でも、大事なのはスピリットであり、形式や伝統を守ることではないと思っている。伝統は時代とともに変わっていく。筆しかない時代からキーボードで文字を打ちプリンタで印刷する時代に筆で書くのが大切なことなのだろうか。
 天理教では「練りあい」と称し、集まって話すこともあるが、本音は言えず、体制について批判的なことは言えず、矛盾をついたら異端視される。また仲間はずれにはなりたくはないから、合わせることばかりで、陰で不平、不満をこぼす。そんなくだらない「練りあい」はやめてしまえとばかりに、「集まり自粛」、「ソーシャルディスタンスを取れ」、「できるだけオンラインで」というコロナ禍がやってきたのではないか。困っている人がいれば躊躇なく、心のままに助け、悩んでいる人がいれば、そっと寄り添ってあげ、助かりを願い、自らの持てる能力を発揮し、自分も生きがいを感じながら暮らすことが大事なのではないだろうか。
 立派な建物に人間は心を奪われる。しかし、建物は時間とともに古くなり、修繕や建て替えも必要になってくる。大事なのは「建物の普請」ではなく、「心の普請」なのではないか。優先順位も「心の普請」があってこそ、「建物の普請」につながるのではないだろうか。「心の普請」がない立派な建物の教会はこの新型コロナで多くの伽藍宗教のようになってはいないか。天理教の教会を見ていてそんなことを感じる。冒頭に新型コロナで世の中が変わったと書いたが、「変わった」のではなく、「変えて」いかなければならない旬が来ているのかとも感じる。

モリジロウ 2020年6月26日


 以上が2年前に書いたものだが、読み返してみて、ただ時間だけが過ぎていったように感じ、自分自身も何もできていないじゃないかという思いに駆られる。2年前の2020年当時、2022年にはコロナも終息し、社会的な混乱も終わっているだろうと思っていた。しかし、現実はずっと続いている。
  今はまだ明治維新の前の幕末のような状況なのだろうか?
 
だとすれば来たる未来に向けて日本だけでなく、世界中の人々が争いもなく平穏に暮らせる社会を築いていけるように、一人一人が微力ながらでもやれることをやるしかないのかとも思う。

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