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教祖30年祭頃のふし(井出クニや茨木基敬の謀反)

教祖30年祭の井出クニ謀反

 天理教の歴史の中で教祖30年祭の頃のことを、いろいろ調べると興味深い。今から107年前になる大正5年であるが、正善二代真柱は、まだ12歳の子供である。その2年前にあたる大正3年に初代真柱が出直し、同い年で教祖から「控え柱」と言われていた前川菊太郎も出直している。単なる偶然なのだろうか。何らかの神からのメッセージだとも感じるのだが。
 その翌年の大正4年には本部の重鎮である松村吉太郎が小川事件で収監され、普通に考えれば年祭を行えるのだろうかとか、人々は不安になっていたのではないかとも想像する。そんな頃、教祖30年祭には教祖がまた現れるという噂が流れ、人々はいつ現れるのだろうかと待ち望んでもいたようだ。そして30年祭に現れたのが、「井出クニ」である。
 天理教内では「井出クニ謀反」と扱われている出来事であるが、教祖殿に現れて、おたすけを始めたということだ。結局、本部員に連れ出されてしまったわけであるが、この大正5年の頃の教祖殿は現在の建物ではないはずだ。
 調べてみると、現在の祖霊殿の建物が、当時の教祖殿だったようである。現在の豊田山山舎が当時の祖霊殿だったようである。つまり、今のような広い教祖殿ではなく、あの小さい祖霊殿の建物で「井出クニ」は大三宝に自分の写真を立てて、おたすけをすると宣言したということになる。これだけでも大事件であるが、井出クニにしても、教祖殿へ行かざるを得なかったようだ。神に頼まれ、現れなければ教祖「みき」の言い残したことが嘘になるからと天理へやってきたのである。

 本部側としても絶対に認めるわけにはいかないし、そんなことをすれば教会制度自体を脅かすものになりかねなかったとも思われる。教会本部側は教祖、本席で天啓は終わっているというスタンスであるから、絶対に認められない。実務の実質トップだった松村吉太郎は監獄の中で、初代真柱は出直したすぐ後のことだし、本部員たちで、さぞや対応に苦慮したことは想像に難くない。世間風にいえば、クーデターが起きたようなものなのかとも思う。

クーデター「coup d'état」

 クーデターとはフランス語の「coup d'état」から来ている言葉だが、暴力的な手段で政権を奪取する政変のことである。日本でも二,二六事件などがある。結局、現体制に異議を唱える者たちが、蜂起することで、クーデターが起こるものなのかと思うが、失敗する例が多いようにも思える。
 最近でもロシアのプーチンに対してプリゴジンが兵を挙げてモスクワへ侵攻しようとしたが、失敗に終わったばかりか、暗殺されたようでもある。
 過去には日本でも三島由紀夫が自衛隊を扇動しようとしたが、失敗に終わり自決した。
 誰かが立ち上がらなければと思っても、皆がすぐに賛同して動くわけでもなく、大衆は平和を望んでいるだけで、誰が実権を握ろうが、政治がどうなろうが、身近な生活がよくなることにしか関心はないものなのかとも思えてくる。そう考えると大政奉還は歴史的に凄いことなのかとも思える。やはり「平和的な転換」を日本人は好み、支持するのかとも思える。
 

天理教の安定期

 明治の末頃から大正期にかけてが、天理教の中で一番、不安定な時期であったのかとも思う。本席飯降伊蔵が出直し、後継であるナライトも中枢からは外され、その後に事件はいろいろ起こっている。このNoteでも書いてきた「茨木事件」もそうであるし、社会的には一派独立を果たしたが、それが教祖や本席が望むところだったのだろうかと考えるとき、私は道を間違えたのではないかとも思っている。歴史に対して、そんなことを言い始めても無駄なことであり、その歴史の上に現在が続いているのであるから、後世に生きる我々がどうのこうの言っても始まらない。
 ただそういった歴史を踏まえて未来を考えていくことは大事でもあると思う。結局、大正14年に二代真柱が管長に就任し、昭和に移り、天理教は安定期に入ったのかとも思える。燃えるような布教が行われたり、中国への布教も盛んで満州にも進出していった。しかし結局、それらも戦争の終結とともに、大きく転換を迫られることになるのだが…。
 二代真柱は「革新」を行ったことを悔いていたと教祖物語でも出ていたように思うが、戦時下の国家に協力せざるを得なかったのは、どこの教団も同じなのかとは思う。しかし、一派独立後、元々の教祖の思いや、本来のお道とは違い、教会制度という上下社会のようなピラミッド構造を構築し、天啓は終わったのだと人間思案中心の教団運営をやってきたのだから、いつかは破綻してしまうものかとも思える。
 

井出クニの予言

 井出クニは日本が戦争に負けることも予言していたそうだ。第二次世界大戦も負けることを予言し、軍国主義でアジアに植民地を広げていた日本が満州を失い、韓国が独立することも、昭和の初期の頃から予言していたそうで、芹沢光治良の兄である芹沢真一にも告げていたそうだ。
 私は教祖殿にクニが現れ、おたすけをはじめ、不思議な助けや予言もして、受け入れていれば、今の天理教も変わっていたように思えてならない。そして、そうならなかったから、神は教会本部の本部員である茨木基敬に降り、神の言葉をつなごうとしたのではないかとも想像している。そう考えれば、辻褄が合っているようにも感じる。
 ただ、現実は井出クニの事件も茨木の事件も天理教の歴史年表にも一行だけで片付けられるような事項となり、語られることもなくなっていった。こういった歴史的なことも、すべて都合が悪いことばかりなので、封印され、研究することもタブーになり、今の天理教の体制が出来上がったのかとも思う。しかし、それも神の思いとは違うのか、100年後の現在、コロナや天災というような大きなふしを与えて、大きく変えようと神はしているようにも感じる。

中央集権の独裁体制はいつか破綻する

 テレビのニュースを見ていて、北朝鮮のニュースが出ると金一族の独裁政治で人民が餓死しているのに、ぶくぶく太ってロケット花火遊びに夢中になっている奴が王様のどうしようもない連中だと誰もが思っていることだろう。あくまで他人事であり、よその国のことであるから、自分たちにミサイルが飛んでくるとか、実被害がない限りは、静観している。間違って一発でも落ちたら、世論は大きく変わるだろうが…。
 天理教に限らず、宗教はどこも似たり寄ったりな部分があり、北朝鮮の金ファミリーと似たような面がある。教祖や教祖の血筋の家系の人たちが、ことごとく実権を握り、信者はその人たちを崇め、嫌々でも追従したり、抜け出せないでいたりする。これでは北朝鮮の現状と何ら変わらない。
 信者が激減するのも当たり前で、信者の世代が変わるたびに、もう嫌だと離れていくのは自然なことでもある。
 北朝鮮では脱北=死であり、命がけである。また重罪であり、他国で生き延びても、そもそも教育が違い、根本的な思想から変えていかないと、他国では暮らしていけない。宗教の2世、3世、4世は嫌なら抜け出せばいいのである。北朝鮮のように重罪になるとか、殺されるわけでもない。
 災いが起こるとか、脅迫めいた引き留めをする人がいたら、それこそ洗脳である。そもそも信じなかったら災いを吹っ掛けるような神であるのなら、人類の親などということ自体おかしくなってくるわけで、そんなちっぽけな神様なのかという話になる。無神論者になれとか、信仰などいらないという話ではない。冷静に振り返ってもらいたいだけである。

終わりに

 前回の記事「ジロウ閑話休憩15」で、「自分が天理教から、ちょっと距離を置き始めているようにも感じている。」と書いた理由は上記のような歴史的なことや、何も変わらない体制から距離をおきたいことからである。
 誤解されては困るが、「おつとめ」をしないとか、「おさづけ」を取り次がないということではない。自分が調べ、信じて正しいと思った教えや、行いは今も実践している。ただ教団の体制に距離を置きたいという話だ。
 現天理教の体制で十分に満足で、教理面でも間違いない、これが信仰だと思っている方は、それはそれでいいと思っている。信仰はそれぞれのものであるから、とやかく言うつもりもない。
 信仰について振り返り、いろいろ考えてみる必要があるのではないだろうか。

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