見出し画像

100年たてば大きく変わるのだろうか

 天理教に限らず、一般的に宗教団体は衰退しているようだ。後継する人がおらず、信者も高齢化し教会維持が困難になり、教会名称を返納するところも増えているという。天理市内の教団所有の土地も更地にして売ったり、一般企業に貸したりしているという噂もよく聞く。お供えという収入が減少傾向にある以上、しかたがないことなのかもしれない。

 しかし、それ以上に深刻なのは「教え」そのものが正しく伝わっていないことではないだろうか。最近「人道支援」という言葉をよく耳にする。困った時には助け合おうという意味で意義のあることだとも思う。「人道」とは「 人として行なうべき道。人として守るべき道」なのであろうが、それを詳しく説いているのが宗教だとも思う。しかし、そこには目は向けられず宗教団体は教団を守る、組織や体制を維持することに集中するあまり、世の人々は宗教離れを起こしているようにも感じている。

 作家の芹沢光治良は70年ほど前、養徳社の岡島社長の「教外の信頼のおける文学者に、真の教祖様をお書き願って、『天理時報』に連載して、この際、先ず信徒にも、教団にも、社会にも真の教祖様を知って頂くことです」という依頼で昭和24年から『天理時報』に「教祖様」の連載をしていた。稿本教祖伝とは比較にならない内容の豊富さだと言えるもので、逆に言えば稿本の方は省略された部分が多く、真の教祖像とはかけ離れたものであるともいえる。

 ネットで見つけたものだが、参考までに紹介させていただく。芹沢光治良作品の一読者による私設ホームページだが、天理教についてうまく要約されていると感じる。天理教の人であれば一読をお勧めする。

http://www.hi-ho.ne.jp/kstudio/kojiro/oyasama.htm#page

 ちょうど100年前は松村吉太郎の倍化運動が盛んな時でもあり、教勢を大きく延ばそうとしていた頃でもある。しかし、本来の教祖みきが望むような方向には進まず、大日本帝国の政府に融合するような動きで、教祖が望むものとは異質な宗教団体になっていった頃でもあると考える。100年たてばだんだんと真実が明かされてくると聞いたことがあるが、本当にそうなってきているようにも感じる。ちょうど100年前と言えば1918年に第一次世界大戦が終結し、1919年にスペイン風邪が流行り、1923年には関東大震災も起こっている。それから100年たった今、新型コロナウィルス、ロシアのウクライナ侵攻と世界的に大きな出来事がどんどん起こっている。

 須藤花井が残した「月よりの神言」が現実になっているかのような気もする。少し違うのは「ソ連と中国が大きな戦争をやって」という部分だが、執筆された頃、まだソ連は崩壊しておらず、1989年にベルリンの壁が崩壊し、須藤花井が亡くなった年である1991年にソビエト連邦は崩壊した。「火の玉の打ち合いをやると地球は火達磨になって三分の一までやける」というのは、今のロシアのウクライナ侵攻が火種になり第三次大戦が勃発し、核を保有する国が参戦し、核を使うようになれば、そうなるということなのか。「月よりの神言」が強ち虚言ではないとも感じる。新型コロナも変異を繰り返し、一向に終息の気配が感じられず、もう3年目である。今、多くの人が不安を感じながら暮らしているのではないだろうか。

 2016年教祖130年祭が終わり、翌17年には甘露台倒壊事件があり、引き続き四代真柱の身上、そして今の新型コロナウィルスと大きな「ふし」を迎えているようにも感じるが、これも大きく変わり、次のステップに移るための神の試しなのだろうか。そうであるなら、個々人が教祖みきの教え一つ一つを大事にし、世界中が平和で陽気に暮らせるようにできることをやっていくべきではないかとも思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?