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ジロウ閑話休憩…1

 こんにちは。またご訪問下さり、お読みくださりありがとうございます。いつもは文語体で自分なりにまとめたことを書いておりますが、「閑話休憩」ということで、口語体で気軽に書くことにいたします。
 
(何となくまだ口調がかたい感じもするので、もう少し、砕けた感じの方がよろしいでしょうか?)
 
ほな、独り言、始めますわ。今回は若い人向きでんねん。
 
 Noteを使い始めたんやけど、まだ全部の機能を使いこなせてるとは思えへん。ホンマに便利やと感じるわ。せやけど、ホンマ、便利やし、読んどる人も読みやすいレイアウトで、ぎょうさんの人が「コレ、ええなあ」と思とるんとちゃうやろか。
 
 勝手に調べて思てること、好き勝手に書かしてもうて、ありがたいと思とるよ。また読んでくれはる奇特な人もおると思たら、ほな、また書こかいなという気分にもなるさかい、不思議なもんや。
 せやけど、「おまはん、心得違いしとるで、そら、ちゃうで」いうことあったら、遠慮せんでええさかい、コメント欄でアドバイスしてや。
 
 わし、思うんやけど、大和の地で百姓しとったところの奥さんに神さん、降りはって、よろずのこと、説きはって、不思議なたすけもしはったさかい、この教えも四方にのびていったんやろなとホンマ思うわ。ホンマに助けてもろた人はおやさん、ホンマモンや、思たんやろな。せやなきゃ、ついてかへんで。狐憑きやいうとる人かて、目の前で不思議、見せてもうたら、コロッと変わってしもたんやろな。
 せやけど今の時代、そんな不思議を見せてもろて信仰するなんてことあらへんから、心にまようことも出てくるんちゃうかとも思うわ。せやからわしみたいな不届きもんが、ホンマのこと、知りたいゆうて、ええ歳こいて、高野はんのまねしてゴミ拾いしてまんねや。
 
 井出クニはんのこと、前、書かしてもうたけど、大正五年の三十年祭の頃、井出クニはんが教祖殿に現れはった時、どえらい事件やったやろなあと思うわ。正善二代はんも、、まだ12歳の子供やったやろし、本部員の茨木基敬はんは62歳、御母堂はん40歳、真之亮はんはその2年前に出直されとる。管長摂行者やった山澤為造はんも60歳で、ほら、びっくらこいたやろな。真之亮はんもおらんし、二代さんはまだ子供やし、なんちゅうても教団のトップにおったんやさかい、教団の実務を担ってはった松村吉太郎はん50歳と、かなりこの事態について相談しはったやろな。
 諸井慶徳はんかて、その年に生まれとるんやから、まだ天理教学も教理もなんも整備されとらん時代の話やさかいになあ。
 
 わし、松村吉太郎はんの「道の八十年」、何回も読ましてもろたんやけど、この人のこと、好きになれんかったわ。せやけど、この時代にあのお立場でやっぱ、苦労もしてはったんや思たら、おもろい人やったんやなあとも思うわ。もともと、天理教、きらいやってんてなあ。
 
まあ、学もあって、大和の百姓ばっかのとこへ、おやっさんと通とってんから、「大阪のぼん、来た」言うて、からかわれたりして嫌やったんやろな。その当時やから天理教とは言っとらんかったかもしれんけど。おやさんのことも、あんま面影、残っとらんかったやろけど、本席さん時代から知っとう人やさかいに苦労の連続やったやろな。なんちゅうても「我孫子事件」の時にゃ、まだ学生さんやったやろし、あんまりかかわりとうなかったやろな。今の若い子たちもそんな思いしとる子、ぎょうさんおるんとちゃうかいなとも思うわ。
 
それが後に時の政府とも何とか認められる教団にしようと交渉したり、何とかせにゃあかん思うて、事務方としてがんばってはったんやから、やっぱ功労者やな。せやけどこの人、ほんま、字、うまかったんやな。みんな神殿で見とると思うけど、南礼拝場のよろづよのうた、あの人が書かはってんで。晩年のことやけどな。若い子、知っとるけ?知っとるわな、それくらい。おやさんのマンガにも載っとったさかい。
 
 わし、教会制度のこと調べとるんやけど、国家神道に追従してかな生き延びれん時代やったんやなあと、つくづく思うわ。時代に「if」はないんかしらんけど、もし、日本ちゅう国が鎖国したまま、遅れ取ったら、今頃、わしら英語かオランダ語でもしゃべっとったかもしれんで。せやからお国のいうことも聞かなあかんかったかもしれんけど、お国も富国強兵でなんとか強うして、国家神道で国をまとめなあかんと無茶苦茶しよったさかい、おやさんのこと、こわかったんやろな。今の常識で文句ばっか、言うとってもあかんわ。歴史、調べて時代背景調べて、できるだけぎょうさん資料集めて、検証してかな、真実、見えてこうへん。
 
 今、読んでくれとう若い子、「船中八策」って知っとるけ?知らん?
ほな、坂本龍馬って知っとるけ?あのおっさんが江戸時代末期の慶応3年に新しい国家体制の基本方針を書いたもんや。わしも船の中とちゃうけど、おたすけ行っとる新幹線の中でちょっと考えとったんやけど、「車中八策」ちゅうのを考えとったんや。どうやったら天理教がようなるんか、バナナジュース飲みながら、考えとったんや。まだまとまっとらんけどな。若い子が、ほんまにお道から離れていくの見とれんのや。信仰が続かんのも見とれんのや。今のままやったら、ジジババばっかりのさびしいもんになってまうやろ。それ、おやさん、望んどると思うか?わしにはそう思えんのよ。せやさかい、何とか変えてかなあかんと思とるんよ。
 
 閑話にしては長すぎやね。今の若い子らは短く、端的に話せるツイッター感覚の方がエエんやろね。ほいでも読んでくれて、ありがとな。おもろかったら、スキポチ、しといてや。なんや聞きたいことあったら、コメント書いてくれてもエエし。なんやったらフォローしてくれたらうれしいで。

 ほな、またな。体に気いつけて、ちゃんと食うて、やることしっかりやってや。


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