伝え方の妥協


女友達が高校時代にクラスメイトの男子に、

「LINEで💗使うな!思わせぶりすんな!」

って怒られたらしいんです。
でも僕とのLINEでもハートを使ってたので、

「まだハート使ってんのかよ!」

って言ったら、

「怒られた時はピンクのハートだったから、白のハートに変えたの」


そういうことじゃないな。
怒った男子よ。そういうことじゃないんだよな。わかるぞ。辛かったな。





今、僕のバイトしている銭湯では、同じ市内の印刷屋さんが企画している
「大きな紙」というのがあるんです。
簡単に説明すると、コロナ禍で子供たちが外出できなくなり、家にいることが多くなった今、子供たちに少しでもステイホームを楽しんでもらおう!ということで企画されたもので、大きな紙を無料配布するというものです。

なんだかシンプルだけど、面白い企画だなと。

もちろん子供たち向けなんでしょうけど、大人もわくわくするななんて。
実際、僕もわくわくしました(お客さん向けなので、持ち帰りませんが笑)。


この企画は今日から始まったんですが、「これなに??」っていうお客さんに説明していたら、1人のおじいちゃんが、「1個、孫に持って帰るねー」と言って笑いながら帰っていきました。

大きな紙一枚で人を笑顔にできるなんて、紙って強いな。
全然、俺、負けてるな。
紙だけに、好かれる(漉かれる)時もあるぐらいでいこう。
うっま。


でも、一つ、不思議なことに気づいたんですよ。
僕がおじいちゃんに説明してる時、その他のお客さんの時もそうですが、

「小さいお子さんが絵を描くのに使ったりするやつです!」

と言っていたんです。

よくよく考えてみたら、目的はそうでも、誰がどんなように使ってもいいのに、なんでこう説明してるんだろって。

本当は、「みんなが自由に何を書いてもいい紙です!」って説明したいけど、自分でも、なにそれ?って思いますね。

伝えたい「想い」と伝える時の「言葉」に違いがあるなって。

伝える時に「わかりやすさ」を重視してるのかな。
たしかに自分が伝えたい「想い」って恐ろしいぐらいふわっとしてて、受け手にとっちゃ情報量1ぐらいかもな。

でも、「もっと自由でいいのに!」って想いも伝えたい。
それは「受け取った人が決める」のか?
・・・
・・・
・・・


あくまで「目的」は「目的」であって、自分の「想い」はいらないな。
これは素晴らしい企画なんだから、自分の「想い」は後回しだな。





最近、頭の中がぐちゃぐちゃしすぎて、苦しいな。
頭がずっと重くて、余裕がなくなってる。

でも、noteを書くと頭の中がスッキリして、余裕ができる。
色々散らかった部屋がきれいに収納されてるイメージ。

なんかまだ、頭が重いな。
なんか書こ。





今日もお疲れ様です!
明日も一緒に頑張りましょう!

きっしー


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