大渦の中で

頭が状況についていかない。コロナで世間がぐるぐるしているときに僕は引っ越しをしようとしている。22年半過ごしたこの家から出ようとしている。生まれたときから過干渉な両親に挟まれて、父に怒鳴られ母に怒られながら生きてきた。なぜか頭が良かったが友達はいなかった。小学校のころは孤独だったが中学で少しだけまともになり、高校ではやっと普通の人の仲間入りをした気がする。周りが大人になったせいもある。

家を出たらいよいよ一人になる。いや、家族から離れるだけだ。これからは友人を家に呼ぶことができる。夜中まで人と通話をすることができる。好きに遊びに行くことができし好きなものを好きなだけ食える。何をするにも誰にも相談する必要がないし、誰にも知られる必要がない。僕の暮らしが僕だけのものになる。それを好きな人にだけ共有して生きていく。

いいマットレスを買った。7万もするコアラマットレスとかいうやつである。いいデスクを買った。バウヒュッテのゲーミングデスクHDとかいう、3万もするが耐荷重100kgで高さが細かく調節でき横揺れのしない机である。こんな高いのを買う必要なかったかもしれない。いいパソコンも買うつもりである。18万するガレリアXFというハイパーPCを買う。動画撮影も編集もブラウジングもあらゆるゲームも無限にできる。良い回線を引こうと思う。入居時にはJCOMの雑魚い無料の回線しかないが、それでも有線接続すればだいぶマシになると思うし(たぶん)、できればNURO光を引いて爆速インターネットを楽しみたい。

良いスピーカーを持っている。低音がちょっと効きすぎるので実家で使うのには憚られた。なに見てるかもわかってしまうし。いやマンションで低音効くのはまずいのでは。これは封印するかもしれない。

いいキーボードも買う予定である。良いパソコンと合わせてこれで無限に執筆をする。

ブログを始めてアフィリエイトを乗せようかと思っている。noteで有料記事を販売するのでもいい。なんとなくちょっとだけビジョンが見えてきた。文章で金を稼げる時代が来るかもしれない。いや時代は来ているのか。僕ができるかどうかだ。

何を書くか? アンダーテールを思い浮かべる、東方とかRPGとかいろんなゲームのエッセンスを混ぜ込んだあのゲームは、何にも似ていない。作者の魂である。そして良いゲームだから売れた。良いものならなんでも良いのである。よく周りを見て、この世に何があって何がないか、僕らの抱えている問題が何なのかを見て、何か書いていこう。バズって評価されて金が欲しいなという気持ちがそりゃあるに決まっている。時代を見てちゃんと機能する文章を書いていたい。自分が欲していたものとか、誰かが欲していてまだないものとか。誠実に試行錯誤する子供のような大人の話。とかね。

僕の人生がひとつの区切りを迎える。第一章、孤独な天才少年編。小学校のころから中学まで、友達があまりいないが頭が良かった。第二章、文学青少年編。中学半ばから高校まで小説を書く練習をしていた。高校には受かったが燃え尽きて学問をやる気がなくなり、課題の多さにキャパオーバーし、ずっと小説を書いていた。あと恋愛をしたりしていた。高校卒業まで続く。第三章、ニート編。これも三年ある。三年もあったのだ。長い。これがぜんぶ本当に僕の人生なのだ。毎日何をすればいいかわからず、大学に行くのか、行けるのか、行った方がいいのか、行かなくていいのか、小説を書くのかどうか、死ぬのか、どうすれば楽になれるのか、なぜ苦しいのか、とずっと考えながら、ゲームをして小説を書いていた。病んでいた心をどうにかしようと思い、やりたいことをやろうと努めていた。最新ゲーム機を買い、毎晩飽きるまでエロコンテンツを見漁り、会いたかった人を呼び出したりして、いろんなことがあった。ゼルダBotWを買ったがあまりに憂鬱な心で触れていたので風景も何も入ってこなかった。シャドウバースを狂ったように遊んでいて、自力で組んだデッキでAまで上がり、人のデッキを借りてマスターになった。ROB環境、ベルフェゴールとかカオスシップが入ったヴァンパイアでだった。今でも覚えている。シャドバの戦績記録サイトからマストドンの存在を知り、コミュニティに入ったりした。大人が日常的にゲームで遊んでいるのを見たのはそれが初めてかもしれない。大人と言っても僕の両親からは20くらい離れているのだが。そりゃあゲームもする歳である。それからスプラトゥーンを買い、またそのマストドンに入り、ずいぶんやりこんで大会にも出たりして、スプラトゥーン甲子園に出たりして、楽しかった。友人に誘われて単発のバイトをやったりもした。初めての労働体験である。歳を追うごとに家での当たりは激しくなって、「怠けていないで早く働け」と怒られていた。なんとなく、そう言われて働くのは絶対に間違っていると思っていた。僕の人生はどうなったのだ。良い大学に入れるために死ぬ気で良い高校に行かせたのではなかったのか。良い大学に入って人を使う側の人間になれ、じゃないとだめだ、一番にならなきゃだめだ、とあれだけ父が言っていたのは何だったのか。言われることが二転三転して僕はわけがわからなくなり固まっていたのだ。何が正解で、何が正しくて、何をすれば怒られずに済むのかわからくなってしまったのだ。何をしたって全部間違いで、何をしても怒られるんなら、何をしてもしなくてもどうせだめなのではないか。そう思って全部を諦めていたのだ。それで止まっていたのだ。

精神科に行き、カウンセリングに行き、両親が間違っていることを知った。父は僕の人生なぞ少しも考えていない。それに、僕はもう両親がいなくても生きていけるのである。他に心の支えになる大人がいたのである。両親に罵倒されても、怒られても、飯を作らないと言われても、インターネットの回線を切られても、僕は生きていけるのである。もう何もできない子供ではないのだ。貯金を使ってスマホを買い、単発のバイトを少しずつ始め、カウンセリングに通い、ゲームで知り合った人に話をして、何をすればいいか、何が正しくて何が間違っているのか、いろいろあったのだ。

結局は、僕の苦しさも無力感もだいたいは父が原因であるので、まずは家を出ようという話になった。家を出るためには定期収入が必要である。それで働くことになった。精神科での相談で決めた話である。決めたというか、そうしたほうが良いという風に言われて、盲目的にそうだろうと思った。

今まで、父や母に怒られて苦しいのは、僕がだめなせいだと思っていたのだ。なぜ僕はだめなのだろうか。何がどうだめなのだろうか。どうすれば怒られずに済むだろうか。とずっと考えていたが、僕に何か悪い理由があって怒っていたのではない、彼らは僕をコントロールする手段として怒ったり否定したりしていただけなのだ。彼らに付き合う限り苦しみは永遠に続く。永遠に。死ぬまでだ。僕が僕として生き、僕の人生や幸福や不幸を僕のためのものにするには、両親から離れる必要があった。幸福も、苦しみさえもである。今まで僕の人生は僕のものではなかったのだ。みんな、幸福になってくれ。不幸を不幸として哀しんでくれ。僕もそうあるべきだ。みんなに幸福を求めてほしいと思うように、僕もまた幸福を求めて不幸を避けて生きるべきである。個人の意思こそ個人の神である。

それで就職活動をし、のろのろと十社くらい面接を受けて落ち、そのうち今の会社に受かった。ブラックなのかホワイトなのかわからないが残業はないし給料は高卒ニートには十分すぎるくらいある。

受かったが俺に仕事が務まるのか、無理では、と思いながら、まあ無理かどうかを決めるのは会社のほうなので、だめだとしてもまあ採用したほうが悪い、とか思いつつまあやれるだけやっていたら、どうにか8か月もった。十分に業務をこなせているらしい。本当か。未だに信じられない。それで金が溜まったのでのろのろを新居を探し始め、決めた。そして今に至る。あと三日で入居日である。

心の準備が全然出来ていない。毎日やるべきことに忙殺されて、全て「自分の人生を取り戻すため」と盲目的にやってきた。新居に住んで少し経って安心したら、たぶん高校入学して夏休みが終わったころみたいな気持ちになるだろう。燃え尽き症候群みたいになる気がする。しばらくはのんびり生きていよう。僕は一年間の戦いを戦いきったのだ。あと三日、両親に新居と職場を知られなければ戦いが終わる。最後の詰めである。

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