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雨乞いで雨は降るし、努力すれば報われる『人はなぜ物語を求めるのか』

写真は無関係な最近買った3Dのアセットを触っていた時に撮ったスクショ。カメラとか被写深度とか触るのが楽しい。

最近ずっと『人はなぜ物語を求めるのか』について書きたかった。

人は時系列的に前後にある物事ABを「A原因 ⇒ B結果」だと考えがち。現実にはそうしたスッキリした因果関係を持つ出来事はあまりないため、そうした物語的な単純な構図を求める。

雨乞いをすれば雨は降るし、努力をすれば報われる。実際には雨乞いとは関係なく自然現象で雨が降り、努力とは関係なく周りの人のサポートによって成功したのかもしれない。事実と事実は対応関係にあることはあっても、単純に原因と結果という因果関係として考えられることは珍しい。

ただ、原因が明確な出来事を摂取するのは気持ちがいい。できれば単純で面白い方がいい。殺人を犯した犯人の悲しい出自を探してみたり、ニュースで報道されていることを「意図的な嘘」だと思い込んでみたりする。耳に入った「報告価値の高い」と感じた物語を人に伝えるによって異なる物語が生成されることもある。

世間にもいかにも「物語らしい」構造のものは注意深く観察したほうが良いのではないか、ということをこの本で読んでから考えて周りを見るようにしている。逆に言えば、クリエイターとしては努力して報われるある程度真実味のある漫画のシナリオは世間で消費される創作された物語のように「物語らしくて心地よい」ということが分かる。こういった視点はシナリオのノウハウとしても重要な視点だろう。

ただ、自分の身に起きたものごと全てを「原因なんてないのだ。仕方ない。」と考えるのは違う。自分の思考によって捻じ曲げられた物語を作らないよう気を付けながら、失敗の原因を探って改善を考えるのが同じミスをせず、さらに良い次の日を送るための方法だと思う。ただ、やっぱり思い込むのは良くないのでやってみて直す、の繰り返しが大事。そういった分析の精度を高めるために結果を示す色々な客観的な数字がある。まあ見たい部分のデータだけを見ればいくらでも捻じ曲げて物語は作れるんだけどね。

「とりあえず書きたい」と思っていたので寝る前の少しの時間で書いてしまったけど、もうちょいちゃんと伝えたいなあ。

個人的には最近だと、人の発言の一部を切り抜いて裏にあるものを勝手に想像して物語にしてはいけないなあ、って思う。自分もそう。みんなもそう。

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