見出し画像

500年続く日本唯一の揚浜塩田

今回は塩についてのお話です。能登半島には塩作りのメーカーが数社ございます。その製法が独特で、今は日本に能登半島だけになってしまいました。

塩作りの歴史は加賀藩三代藩主前田利常公が農民救済のために塩手米の制度を引き、能登地区一帯に塩作りを広めたのが始まりです。塩手米とは翌年の生産予定の半分を年末に、翌年に残りの半分を貸し出し、作った塩で返済する制度です。

塩の作り方は多岐にわたり、藻塩焼き、入浜式、流下式、イオン交換機製塩などです。今現在の精製塩の大半がイオン交換機で生成されています。

何故、イオン交換機以外の製法がことごとく無くなってしまったのかは塩の買取価格の変更が原因でした。昭和33年の臨時塩業措置法により、珠洲と輪島の3件を残して廃業しました。作るコストよりも買取価格が安くなってしまったからです。その後2件が廃業し、1社だけで細々と塩作りを続けるようになります。

今でこそ高級塩の様々な使い道が、食の世界に登場してきましたが、近年にまでは伝統的な製法を守るという一心で続けられて来たのではないかと思います。

この揚浜式塩田は晴れた日にしか生産ができません。大体年に70日程度しか作れる日がないそうです。また、海水を汲んでくるのですが、60Kgあります。和菓子店は砂糖や豆などを使いますが、それでも30Kgです。その倍を一日に何度も海と陸とを往復しますから大変な仕事です。

そして18時間も一人で炊き続けなければいけません。それだけ苦労して作られる塩は、ミネラル豊富で、優しい塩辛さが特徴です。餡との相性はとてみ良いです。

今現在は数社の会社で塩作りを行っています。金沢から2時間以上かかりますが、塩作りの体験もできます。是非一度体験してみてはいかがでしょうか。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?