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十一月

 奈良は秋で、薄曇りの空の下でもみじの葉が赤い。やわらかな午後の光を透かして、なだらかで淡い輪郭の山も遠くに見えた。駅から離れた住宅地の中をゆっくり歩いていると、自宅の近くで見る門や屋根の形が目に入る。この細い道を右に、そしてこの路地を入り、坂を下りれば、自分の家に帰れるのかもしれない。電車で一時間以上かけてここに来たけれど、ひょっとするとずいぶん近くの場所で、わたしが気づかなかっただけかもしれない。そんな想像にふけりつつ一人で歩く。ときおり風が吹き、枯れた枝が揺れてざわざわと音がする。高い山から下りてきて、鹿が草を食む野をなでる風は、葉を散らし、古い街のなかを駆け巡り、また空へもどる。
 なつかしい雰囲気のある住宅地は、なつかしいと感じるがゆえに薄茶色に煙って見える。あちこちでみかけるオレンジ色の花が玄関に、見知らぬ人物の顔がポスターに、なじみのない郵便番号が褪せた看板に。「ほねつぎ」と書かれた看板。「ゆ」と書いてあるのれん。電信柱に貼りついた広告。模様のあるガラス窓。茂った枝の間にメジロがひそんでいる。金属がこすれるような声が鳴くシジュウカラもいる。ぱっと飛び立った小鳥はエナガ。地面で何かをつついているのはスズメだ。オレンジ色に熟れた柿も見える。未熟な緑色のものと、地面に落ちてつぶれているもの。
 しばらく歩くと、新しくてきれいな建物が見えた。小さなマンションか、公民館のように見える。遠目に見ていると、二階から三階に至る踊り場のガラス窓に、誰かがいるのが見えた。おばあさんがいるな、と気づき、気づくと同時に、建物の入り口の看板が目の端に入る。老人ホームだ。おばあさんは外をじっと見ている。口を「へ」の字にして、ほんの少し怒っているようにも見えた。その表情は誰かに似ている、でも思いだせない。視線が合わず、表情も変わらないので、おばあさんがわたしに気づいたかどうかはわからない。おばあさんはガラス窓に左手をあて、右手の人さし指で何かを書いて(なぞって?)いるようにも見えた。手を挙げて、挨拶をしようかという気がよぎるけれど、やめた。

 おばあさんのことはすっかり忘れてしまっていた。思いだしたのは十二月の半ばを過ぎたころだった。誰かに似ていた気がするけれど、思いだせない、その気持ちとともに思いだした。おばあさんが着ていたふんわりした臙脂色のセーターの色も、白い髪の色も思い出し、ガラスに何か書いていたようなしぐさも思い出した。むかしむかし、自分が子どもだったとき、くもったガラスがおもしろくて、文字を書いていたときのことも思い出した。そして、自分が何を書いていたかすっかり忘れてしまったように、おばあさんのこともすっかり忘れてしまった。