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漫画シャドーハウス、影と人間

漫画「シャドーハウス」にハマっている。

真っ黒けの人間の形をしたシャドーはもとはモーブという黒い塊で、人間の姿の生き物といっしょにいることによって、同化していき、人間の形やいろんな性格をひきついでいく。
そしてそばにいるのは「生き人形」という存在でその子たちはシャドーにとっての顔となっていく。

洗脳される管理されたシステム

まずこの発想がすごい。
生き人形はお影様と言われるご主人に仕える存在で、顔として役立つように日々奉仕する。
しかし、実は「生き人形」と思わせられた本物の人間なのだ。

この事実を知らずに生き人形は狭い世界の中で生きていく。

こうした管理された中で知らないで生きるという設定はこれまでの漫画にもよくあった。「約束のネバーランド」「サイコパス」とか。

興味深いのはこの洗脳されるシステム。
ある村の子供たちが選ばれてシャドーハウスにやってきて
洗脳のためのコーヒー・黒い液体を飲まされ、
洗脳の言葉を刷り込まれる。
そして人間ではなく、人形と信じることによって
狭い小屋で棺のような中で寝たり、食事と睡眠は最小限にして
日中はお影様が出すすすの掃除であけくれてくたくたにさせて
まったく考える隙がないようにしていく。
人形だから考えないんだと。

途中から主人公のエミリコがお影様であるケイトによって
自分は人間であることを知らされて少しずつ考えられるようになっていくけど、
自分が何も考えないでいられた頃に比べてひどく苦しくて
何も考えないほうがどんなに楽かと思う場面がある。

考える、気づいている、疑っているというのは
管理された世界では、実は苦しいことなのだ。
現代は考えないようなシステムができつつあるようにも思う。
疑問に思うとめんどうだからまわりにあわせていくとか
言われるままにやるほうが簡単と思い、そうやることを選択したり
ちょっとスピ系な人だとすべての答えをタロットやキネシオロジーで選択し、まったく自分では決めることができない人もいる。

ネットの中では相手が考えないですむような申し込みシステムが発達し、
考えずにすむように続けられるサブスクが求められる。

シャドーハウスでは大人になるときに顔がある人間・生き人形はシャドーの人格によってのっとられ、生き人形は死ぬことになる。

これを知ったケイト (このケイトは実はシャドーハウスの外からきた秘密がある) らの仲間たちが阻止しようと協力していくようになる。

ユング心理学での影

まだ途中までしか読んでないので後半のほうの展開はわからないところもあるけれど、もうひとつ興味深いのはシャドーの存在だ。

心理学ではシャドー、影はユング心理学ではよく出てくる。
「シャドーハウス」の作者の方がそれを意識しているかどうかわからないが、人形がシャドーの顔になるというのはそれは「ペルソナ」をあらわしているかのよう。ペルソナの背後には影がある。まだ生きていないもうひとつの自分の面だ。

通常ではたとえば普段いい人なのにお酒が入ると人が変わるというのは、人が変わったその人もその人の一部であり、普段は表面には出ない影ともいえる。何かに拍子に自分の意識ではこうと思っているのと反対のものが存在することでもある。影の部分が大きくなればなるほど、破滅的な方向にいってしまう。
なので、自分の中にある黒い存在に少しでも気が付き、影と折り合いをつけて自我と統合していくことができればよりその人は全体性を取り戻していくことができる。

お話にもいろいろあり、よく知られているのはアーシュラ・K・ル=グウィンの「ゲド戦記・影とのたたかい」という物語かな。

「シャドーハウス」ではお影様は生き人形とまったく瓜二つではないところがまた面白い。それぞれに個性をもつ。見かけの容姿は似ていても性格は違う。だからこそ影ともいえるかも。
もしユング心理学的に考えるならば、生き人形は自我意識、お影様は無意識であり、意識と無意識が話し合い、関係性を築き、協力していくという話にもなる。

洗脳された社会というのは、影の存在にも気がつきにくいだろう。
この洗脳ということと影が結びついていること自体がこの漫画の面白い部分かもしれない。

最後にはどうなるんだろう・・と読者は謎だらけで読み進めるが、意識のほうが洗脳されてしまうと影にのっとられるというのは実に本当のことでもある。漫画でこんな風に面白く読めるようにしている、しかも絵もすごくかわいい主人公でうまいし、というのはほんと才能かもと思う。
河合隼雄さんが生きていたら、この漫画をどう思うだろうとも思う。

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