VOICE(2)フォレスト21”さがみの森”-植林祭の頃 ●中井正博
私が「森林ボランティア」の世界に足を踏み入れるようになったのは、平成9年春の林野庁人事異動がきっかけでした。林野庁に勤め17年、もっぱら国有林野事業や民有林行政に携わってきましたが、直接の担当部署に異動。緑の募金法が施行された直後で、平成7年の阪神・淡路大震災を契機にあらゆる分野で「ボランティア」の力が世の中に認められるようになった頃です。「全国の集い」もこの頃に始まっています。
もちろん、それ以前に、森づくりフォーラムをはじめ先人達の取組があったのですが、その中でも「さがみの森」は、自分自身で足を運び、直接ボランティアの方々と一緒に汗を流すという貴重な場となりました。平成9年の植林祭には、他の業務の都合で参加できなかったのですが、写真にあるとおり、平成10年の植林祭には、家族ともども参加させていただきました。
もともと親が親だけに我が家の子ども達は、ものに動じるということがあまりないのですが、あまりにのびのびと活動する様を見て驚きました。子ども達も参加するであろうという前提で準備を進めてこられたスタッフの方々の力なのですが、手作りのブランコあり、植樹には丁寧なサポートあり、昼食時にはバームクーヘン作りと手厚い体制を整えていただいておりました。まるで「森のようちえん」のはしりのような風景ですね。
さて、植林祭そのものは順調に終了したわけですが、まだまだ植えるところはあるということで、その後も何度も足を運ばせていただきました。少しはチェーンソーに心得があるだろうということで、伐採跡地に放置されている残存木の処理などを担当することになりました。なにしろ数十cmの放置木が何本もあり、安定させないと危険だし、枝張りは植栽の邪魔になります。ほとんど素人に毛が生えた程度の私ですが、他のメンバーよりはましということで、枝を払い、長いものは玉切り、太いものは何人かがかりで安定させてという作業を続けていきます。枝も複雑に絡み合っていて、チェーンソーのバーを突っ込んで切り離すという作業の繰り返しになりますが、このとき、重大なことに気がつきました。
一般の参加者の方々には「安全」の基礎が理解されていないということです。私が枝の処理をしていると、チェーンソーが物珍しいのか、気がつかないうちにすぐ後ろで見守ってくれています。接近作業です。枝の切れ端が飛ぶかもしれないし、場合によってはチェーンソーのバーが跳ねる可能性もあります。気がつくたびに注意はしていたのですが、当たり前のことがまだまだ浸透していないということを痛感しました。
余談ですが、私がチェーンソーを持つのは十数年ぶりでして、エンジンをかけようとして「チョークどこ?」。そう、この頃にはオートチョークが当たり前になっているということに気がつかなかったのです(この話が通じる方は、それなりのお歳)。
同じ頃、相模湖駅の近くで「与瀬の森」というフィールドもありました。交通の関係上、家族はこちらに一緒に行くことが多かったのですが、こちらは「参加者ができることをやる」ということが徹底されていて、我が家の子ども達は「昼食当番」に参加していたことが多かったようです。狭いフィールドでの間伐作業だったため、継続的な活動にはならなかったのですが、20年以上たった今でも子ども達の印象には強く残っているようです。
SDGsの思想の根幹の理念に「誰も取りこぼさない」ということがありますが、その理念を体現していたのではないでしょうか。SDGsの時代を迎え、改めてさがみの森の活動の意義を見直してみたいものです。
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