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市民参加の森 -フォレスト21"さがみの森"-で育んできたこと ●中沢和彦

■ 新しき時代へ

 『新しき時代へ』。ちょっと大げさなタイトルのTV番組がありました。1997年に製作されたものです。

 番組は、スタートしたばかりのさがみの森を紹介しています。地拵え、植樹、放置されていた丸太を簡易製材機で挽き、細い幹枝は薪にまとめます。そうした作業に取り組む多くの笑顔が映っています。

 ハンドマイクで参加者に語り掛けているのは、当時の「森づくりフォーラム」代表の園田安男さんです。園田さんは東京都日出町に活動拠点のある市民団体「花咲き村」で福祉や森林づくりに関わっています。

 番組では、2020年の今も活動を続ける「若い」顔が見えています。

 当時、市民団体として、この森への思いはいくつかあったようです。

①森林ボランティアが計画を立て、森づくりをする場として。

②交流の場所として。

③森林レクリエーションの場として。

④森の知識が得られる学びの場として。

⑤森の恵みに感謝する場として。

 キーワード「多様性」「継続性」(人も生き物も多様に森づくりを継続していく)です。それは、市民団体・森づくりフォーラムの設立主旨とも重なっています。

 また、ここは国有林ではあるけれど、市民参加の森づくりをすすめることによって、厳しい状況にある森林所有者を勇気づけたいとの思いもあったようです。

 さらに、市民が森づくりをすることで「開かれた国有林」となっていくのではないか。そんな期待も感じられます。

 さがみの森の取り組みを見ていくうえで、その事務局を担ってきた森づくりフォーラム設立の経緯を見ていく必要があります。


■ 森づくりフォーラム

 1994年2月、東京周辺の森林に関わる市民団体や森林・林業関係者が集い、シンポジウム「多様な人々が継続的な森林づくりをしていくために」を開催します。東京農業大学奥多摩演習林(奥多摩町)で1泊2日の日程で行われました。

 「立場の異なる関係者が、互いの違いを認め合い、行動をともにしながら、森林を守り育てていく」ことについて話し合いました。人工林の手入れ不足や放置による荒廃などが伝えられる中、上流域の問題を下流域の市民もいっしょに考えていこう、との取り組みでした。

 1994年夏、このシンポジウムに参加した市民団体が中心となって「下草刈り大会」を企画しました。

 除草剤散布に反対し、1970年代から「山に入って草を刈ろう」と活動していた「草刈り十字軍」によって、植林地での手鎌による下草刈りは森林ボランティアの象徴的な作業となっていました。

 大会は、奥多摩町・檜原村・五日市町・日の出町の森林で行われ、翌年も行われました。

 そして、1995年に東京近郊の森林をフィールドとして活動するグループのネットワーク「森づくりフォーラム」(当初は森林づくりフォーラムと表記)がスタートしました。

 1995年の阪神・淡路大震災では、多くのボランティアが被災者の支援にあたりました。そんなところから1995年は「ボランティア元年」とよばれたとしでした。

 1996年、森づくりフォーラムは現在も続く活動を始めています。

●「森林ボランティア保険」(グリーンボランティア保険)の包括契約を東京海上火災保険(株)と締結。

●制度や森林についての政策を市民の立場から提言する「森づくり政策市民研究会」を発足。

●第1回「森林と市民を結ぶ全国の集い」を東京で開催(事務局)。

 そして、1997年に「緑の募金」記念事業として「フォレスト21”さがみの森”」(神奈川県相模原市)の活動へとつながっています。

 1994年夏、「下草刈り大会」を企画したときに困ったことの一つが場所の問題です。「”林業は大変、人手がない”と言いながら、”手伝いたい”といってもなにもさせてもらえない」。市民団体からはそんな声があがりました。

 「森林はみんなのもの」といっても、所有者がいるという当たり前の事実です。一方、森林所有者にしてみれば「何をされるかわからない」という不安もあります。

 第1回大会には600人が参加しました。場所や用具の手配、指導者、安全面などなど、初めてのことばかりでした。

 多くの人、とりわけ若い世代が参加したことは、上流・林業関係者にとって驚きでした。主催した森づくりフォーラムにとっても驚きでした。

 こうしたなか、市民自らが森づくりを計画し、それに基づいて作業していく場所を求める声が出てきました。それは、スギ・ヒノキ人工林だけではない多様な森づくりです。

 市民団体には、会社員も学生も森林行政に携わる人も研究機関の人も動植物が好きな人もくわしい人も、若者も高齢者も参加していました。

 そうした多くの人の知恵とアイデアと夢とで、さがみの森づくり計画は立てられました。

 1994年のシンポジウム、下草刈り大会、フォーラム立ち上げまで、園田さんとともに中心的な役割を担ってきたのが坂井武志さん(元森づくりフォーラム事務局長 2017年没)です。

 グラフィックデザイナーの坂井さんは、市民団体「森林クラブ」に参加していました。同クラブは、1984年に始まった国有林の分収造林制度「ふれあいの森」(50年契約で木材売却代を分収)で、群馬県下仁田町で森づくりや子ども森林キャンプなどを行っていました。その経験はさがみの森に活かされました。


■ まだ1区

 さがみの森の休憩小屋から10分ほど尾根沿いに登っていくと、壊れたベンチの板が残っています。いまは成長したヒノキに視界を遮られていますが、かつてここは見晴らしの良い場所でした。

 番組『新しき時代へ』で、このベンチに腰掛けて、「森づくりは駅伝のようなものです」と坂井武志さんが語っています。

 その後、森づくりフォーラムはNPO法人となり、1997年当時のことを知らない若いスタッフに引き継がれています。

 けれど、さがみの森に行けば、スタート時点から関わっている人が元気に活動を続けています。その意味では、さがみの森の森づくりはまだ1区でしょうか。

 一方、森の作業は「地ごしらえ」「植樹」「下草刈り」「道づくり」などの作業から、スギ・ヒノキでは「枝打ち」「除間伐」を行うようになっています。かつて植樹したコナラ林の一部を伐採して、シイタケの原木栽培体験などにも取り組んでいます。

 森はすでに2区を走り始めているのでしょうか。


■ 開かれた森

 3年に一度、林野庁では「森林づくり団体調査」を行っています。2018年は、1624団体から回答を得ています。

 設問「森林づくり活動で苦労している点」についての回答(複数回答)では、①会員・参加者の確保 73% ②活動資金 61% ③スタッフの確保 38% ④安全 29% ⑤事務局運営 28% となっています。

 「活動する世代」は60代が最も多く、次いで70代、50代と続いています。

 こうしたことから、「森林づくり活動の課題」としては、①ボランティアの高齢化 ②参加者の減少 ③(若者への)参加促進、後継者の確保などがあげられています。

 さがみの森も同じ傾向にあります。

 近年、さがみの森は月2回の定例活動を続けています。森づくりが始まったころの年間参加者数は、1997年573人、1998年674人、1999年698人、2000年930人でした。2018年は438人となっています。

 当初は、植樹や下草刈りなど、だれもが森づくりをイメージできる作業などがあったこともあり、参加者が多かったようです。

 ここ数年、定例活動での1回平均の参加者は20代から70代までの男女20人ほどです。その中心は60代です。

 新たな参加者があって「開かれた森」です。

 さがみの森では、定例活動のほかに小学生や家族を対象にした体験イベントや企業や労働組合の森林づくり体験会などを行っています。動植物観察や森林レクリエーションも行っています。

 さまざまな活動にさまざまな人が参加しています。この森は、市民が森づくりに関わる入り口となってもいます。

 継続のために大切なのは安全です。しかも、ここは平地林ではありません。安全対策は常に心がけていく必要があります。

 近年は、イノシシ・シカ・ヤマビルの増加も報告されています。2019年の豪雨によって、沢沿いが崩れた箇所もあります。課題もまた、様々です。

 この22年、多くの人がこの森にかかわり、楽しみながら森に新たな価値を発見し育んできました。これからも「人も生き物も多様な森づくり」は続きます。

 さがみの森、やはり、まだ1区かもしれません。

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