【当直中に感じたこと】【備忘録】
現在愛知県で研修医2年目をしている立場でのお話しです。以下お楽しみください。
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とある日の深夜3時、ERに救急隊からの電話が鳴り響きます。
詳しく話を聞くと、施設入所中の90歳代、認知症の女性が吐血をしたという内容でした。しかも、家族とは連絡もつかず、施設の方も救急車には同乗していないとのことです。
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かなり忙しかった事も相まって
上級医の消化器内科の先生は思わず
「うわ〜、この時間帯にまじかよ」
看護師さんも
「90歳代の認知症、この時間に勘弁してよ、、、」とため息を漏らします。
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上級医の先生の視点からは、吐血→胃や十二指腸からの出血の可能性→緊急胃カメラをしないといけないという気持ち。(採血、CT等の結果が出てそこから胃カメラとなると来院してから全て終了するまで数時間はかかる上に大変)
看護師さんの視点からは、本人は認知症で意思疎通とれなくて大変だし(点滴で暴れる方もいる)、誰にも連絡つかなかったら入院や帰宅はどうするのという気持ち。
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※この文章を読んでくださっている非医療従事者の方向けに、念のため弁明をしておくと、もちろん医療者全員がこのような気持ちではありません。
ただ、医療者も人間である以上、肉体的にも精神的にも疲弊した極限の状況で更にこれから大変な状況が予想された時に、生理的な心の反応でネガティブな感情が生まれるのは自然なことかなと思います。(もちろん、その感情を患者さんに見せてしまうのはプロフェッショナリズムに反することなので、ありえないことですし、治療においても一切手を抜くことはありません。あくまで医療者の感情面でという視点でのお話です。)
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さて、ここからが本題です。
僕が感じたのは、この90歳代のヨボヨボで認知症になって身寄りのない(語弊が生じるかもしれませんが、家族からも医療者からも厄介者になっている)お婆ちゃんにも、祝福を受けながらこの世に生まれた瞬間があるんだろうなという想像です。
仮にこの方を90歳としましょう。
90歳というと、生まれたのは1932年。犬養毅首相が暗殺された五・一五事件があった年です。太平洋戦争が終わった時には13歳なので、焼け野原になった戦争の記憶もしっかりあるでしょう。その後、日本の高度経済成長期、バブル期などを経験されている、まさに歴史の生き証人です。20代30代からすると歴史の教科書やドキュメンタリーで見たことがある時代を生きてきた人です。
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きっと、愛する人の為に、家族の為に、社会の為に(時に身を削って)貢献してきたんだろうなという想像。
きっと、生まれてきた瞬間や怒涛の日々を送っていた若い頃、まさか90歳になって自分が認知症で周りも分からず、家族からも見放され、医療者からもネガティブな感情を持たれることになるとは夢にも思っていなかったんだろうなという想像。
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つまり、何が言いたいかというと、多くの人は周りから祝福されながらこの世に生を受けます。でも、歳を重ねるにつれて、自分にできない事が増えるにつれて、きっと厄介者にされていく。できないというその事実、その瞬間だけをみんな見ているから。
でも、今の社会を作ってくれたのは間違いなくこの人たち(高齢者の方々)のおかげであって、今ネガティブな感情を抱いているこの人のおかげで笑顔になった誰かがいて、その人がまた誰かを笑顔にしたということ、その事実への感謝を忘れたくないなと思います。
自分は病める人に対して、今この瞬間の姿だけではなく、その人が祝福されながら誕生した瞬間から、これまで築いてきた歴史を想像するようにしています。
きっとそこには愛があったんだろうなと勝手ながら思っています。
そしてもしも今この瞬間に愛を受けていないのであれば、何らかの形で自分が愛を伝えられたらいいなと思っています。それが医師としての医療行為かもしれないし、笑方箋としての音楽かもしれないし、一個人としての手を握るという動作なのかもしれません。
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中島みゆきさんの『誕生』という大好きな歌があるので歌詞を載せます。
1番は出会い、2番は別れがテーマです。
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①
ひとりでも私は生きられるけど
でもだれかとならば人生ははるかに違う
強気で強気で生きてる人ほど
些細な寂しさでつまづくものよ
呼んでも呼んでも とどかぬ恋でも
むなしい恋なんて ある筈がないと言ってよ
待っても待っても 戻らぬ恋でも
無駄な月日なんて ないと言ってよ
めぐり来る季節をかぞえながら
めぐり逢う命をかぞえながら
畏(おそ)れながら憎みながら いつか愛を知ってゆく
泣きながら生まれる子供のように
もいちど生きるため泣いて来たのね
Remember 生まれた時 だれでも言われた筈
耳をすまして思い出して 最初に聞いた Welcome
Remember 生まれたこと
Remember 出逢ったこと
Remember 一緒に生きてたこと
そして覚えていること
②
ふりかえるひまもなく時は流れて
帰りたい場所がまたひとつずつ消えてゆく
すがりたいだれかを失うたびに
だれかを守りたい私になるの
わかれゆく季節をかぞえながら
わかれゆく命をかぞえながら
祈りながら嘆きながら とうに愛を知っている
忘れない言葉はだれでもひとつ
たとえサヨナラでも愛してる意味
Remember 生まれた時 だれでも言われた筈
耳をすまして思い出して 最初に聞いた Welcome
Remember けれど もしも思い出せないなら
私いつでもあなたに言う
生まれてくれて Welcome
Remember 生まれたこと
Remember 出逢ったこと
Remember 一緒に生きてたこと
そして覚えていること
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最後に、来年度から僕は小児科医になります。
まさに生まれてきた瞬間から大人になるまでの成長・発達を見ていく場所です。
先述したように、お年寄りを見ると、その人の誕生した瞬間や子どもの頃を想像してしまうのと同様に、最近では街中で赤ちゃんや小さい子どもを見ると、どんな最期を迎えるのかなあ、なんてふと思います。
はじまりとおわり、この2点が線として繋がった瞬間に見えてくる景色があるのかななんて想像しながら今日も生きています。
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